国立映画アーカイブで10-11月、「映画監督 森田芳光」の上映企画と企画展示が開催された。わたしは映画作品を7本見た。

特定の監督作品をこのホール(旧・フィルムセンター)で集中的にみるのは、学生時代の小津安二郎、2年前の大島渚に次ぎ、3人目だ。
わたしが森田の映画を好きだったのは20代のころだ。はじめに見たのは「の・ようなもの」(1981)、次に「家族ゲーム」(83)で感心した。
森田は1950年1月生まれなので、わたしより3学年上だ。もっと若い人のような気がしていたがまさに団塊の世代の真ん中だ。渋谷円山町の「銀月」という料亭の息子、隣はソープランドやラブホテル、置屋、本人は芸者衆に囲まれて育ったという。日大芸術学部放送学科を卒業、学生時代から8ミリ映画の世界で有名だった。

7階で森田監督の企画展示をやっていたが、展示内容がじつに充実していた。ポスター、シナリオ、映画の小道具の展示があるのは普通だが、たとえば森田個人の蔵書や好きだったレコードジャケットまで並んでいた。蔵書では、6段のスチール書架が4台も並んでいた。
書籍では、フーコー「狂気の歴史」、「カザノヴァ回顧録」、さらに「機械の花嫁」「グーテンベルグの銀河系」「人間拡張の原理」などマクルーハンの本がなぜか6冊も並んでいた。ポオ全集もあった。
マンガの棚には、藤子不二雄「まんが道」「少年時代」、竹宮恵子「風と木の詩」、萩尾望都「ポーの一族」、土田よし子「つる姫じゃーっ!」、永井豪「オモライくん」、弘兼憲史「人間交差点」、ガロのバックナンバー多数、など。
小説の棚には、中上健次「十九歳の地図」、小林信彦「極東セレナーデ」、金井美恵子「愛の生活」、高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」、山口洋子「銀座春灯」、吉本隆明講演集「敗北の構造」「言葉という思想」、山口瞳「新東京百景」、平岡正明「山口百恵は菩薩である」など、当時の本の「流行」がよくわかる。
新書では、岩波の遠山茂樹(ほか)「昭和史(新版)」、岡村昭彦「南ヴェトナム戦争従軍記」、中公新書の会田雄次「アーロン収容所」、講談社現代新書の三浦つとむ「弁証法はどういう科学か」といった当時の定番が並んでいた。
一方、志賀信夫「テレビ媒体論」(紀伊国屋新書)、佐藤忠男「ヌーベルバーグ以降」(中公新書)、武市好古「ウディ・アレンの時代」、「メカスの映画日記」、ゴダール全集全4巻などは「業界人」らしい。
うれしいことに書棚の上にはATGの「アートシアター」が20冊ほど立ててあった。古いものでは「アメリカの影」(28号)、新しいものでは「午前中の時間割」(97号)、中心は47-86号(「忍者武芸帳」から「書を捨てよ町へ出よう」)だった。背伸びしてみると、58号「初恋地獄篇」、62号「肉弾」などなつかしいタイトルがあった。
わたしの手元にあるのは97-146号(1972-81)のあいだの5冊だけなので、時期がずれる。
「森田芳光が作ったもの」というタイトルのパネルに「コメディ、アイドル映画、文芸作、恋愛映画、法廷劇、ホラー映画、ミステリー映画、時代劇と、森田の選んだジャンルの幅広さは驚くべきものです」とあった。アイドルは薬師丸ひろ子の「メイン・テーマ」、文芸作は「それから」、法廷劇は「39 刑法第三十九条」のことだろう。こういう幅広さという面では、わたしが好きな大森一樹監督(1952-2022)にも当てはまる。森田と同じくアマチュア8ミリ映画から始め、「オレンジロード急行」(1978)と「ヒポクラテスたち」(80)でデビュー、アイドル映画では吉川晃司の3部作、斉藤由貴の3部作、やくざ映画「継承盃」(1992)、宮沢賢治生誕百周年映画「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」、渡哲也の復帰作「大失恋。」、さらにゴジラ映画まで撮った。
エンターテインメント性に富む監督だった。本人も、同年代ということもあるのだろうが森田のことを下記のように意識していた
岩井俊二、阪本順二、西川美和、根岸吉太郎ら9人の監督の「森田芳光と“わたし”」のなかで大森は「35ミリ劇場映画『の・ようなもの』を観たのは、確か『風の歌を聴け』を神戸で撮り終えて、東京で仕上げをしている時期だった(略〕これはライバルになるなと確言したものだ。エンターテインメントとしては医者の卵の話より、落語家の卵のほうが軽やかだし、8ミリ映画の感性と手法も随所に残したままだ。(略)こういう才能が次々に出てくるのかと思わされた」
書籍の隣のスペースには愛聴したLPレコードジャケットが38枚展示されていた。真ん中に森田がカメラを構える写真と「僕はマイルス・デイヴィスになりたかった」という言葉がある。マイルスのジャケットが8枚もあった。いかに好きだったかということだ。その他、ビリー・ホリデイ、ハービー・ハンコック、ジョン・コルトレーン、ウェス・モンゴメリーなど。わたしはあまりジャズに詳しくないので、わたしですら知っている名前をピックアップした。

監督の名言・ワンフレーズが、垂れ幕に1フレーズずつ印刷し、天井から懸けられていた。
「映画を観に行くというのは、人に会いに行くこと」「“都市”という言葉の響きが好きだ」「オモシロイ人間がいるんじゃなくて、人間がオモシロイんだよね」「娯楽的要素のないアートというのは、成立しないんじゃないかなって、思う」
森田の人柄と特質がよく表れている。

さて、映画の話も少し書いておかないといけない。
この間、わたしが観たのは8本、公開年月順に並べると(本)噂のストリッパー/ピンクカット 太く愛して深く愛して(1982,83)、メイン・テーマ(84)、それから(85)、失楽園(97)、39 刑法第三十九条(99)、阿修羅のごとく(2003)、わたし出すわ(09)だ。日活ロマンポルノの2本とメイン・テーマは、話が突然飛ぶところがありストーリーがよくわからなかった。「それから」「失楽園」はおとなの恋愛映画ということはよくわかった。松田優作、小林薫、役所広司、寺尾聡ら役者の個性や演技がさすがだとは思ったが、それ以上に楽しめる点は残念ながらなかった。
「39刑法第三十九条」は主人公Aと解離性同一症(多重人格)でAが憑依したBの2人が出てきて、Aは本当はBでわざと多重人格のAのふりをしているという複雑な設定で途中からついていけなくなった。こんな具合で、映画の組立や構成を中心にみるわたしとしては、不満が残る、あるいは退屈な部分を含む作品だった。
「わたし出すわ」は、高校時代の同級生の夢をかなえるためヒロインが大金を提供するという「おとぎ話」のような話で、着想はよいしストーリーはつながっているが、作品としては、もうひとつの感じ。なおこの作品も、小雪、黒谷友香、小池栄子などのキャスト、脇も藤田弓子、仲村トオル、永島敏行、北川景子とすごい顔ぶれだった。
「阿修羅のごとく」は、まとまりもよい作品に仕上がっていた。
役者も大竹しのぶ、黒木瞳、深津絵里、深田恭子(この4姉妹はこれまでの森田映画でヒロインを務めた女優)、仲代達矢、八千草薫とすごい顔ぶれだ。さらに脇役に、坂東三津五郎、小林薫、中村獅童、紺野美沙子、木村佳乃、桃井かおりをもってくるのだからなんとも豪華だ!
135分の作品だが、最後のほうが少し長い気がした。あとで、これはわたしがテレビのパート2を見ていないからであることが判明した。
なおまとまりがよいのは、向田邦子の原作がよいからだ。しかし母が愛人宅前で倒れ、デパートの袋から卵が落ち割れて黄身が現れるシーン、妻(桃井)が夫の浮気相手の長女(大竹)をピストルで撃つ芝居をし、じつは水鉄砲だったシーンなど、エピソードそのものは細部まで向田の原作どおりだが、実家のある杉並の三叉路のショット、年に一度母子で白菜漬けをつくるシーンを含め、観客の印象に残るシーンは森田の創作だ。
考えてみると、森田の映画は断片的な1シーンの色彩やアングル、そして音楽などのディテール、そしてそこから生まれるニュアンスを積み重ねることで「森田」映画らしさをつくり出しているように思える。。
「メイン・テーマ」では、薬師丸ひろ子の「メイン・テーマ」「スロー・バラード」、桃井かおりの「オール・オブ・ミー」「素敵なあなた」などの歌でストーリーをつないで成立しているような映画だった。森田の音へのこだわりはBGMだけではない。バリアフリー上映というものがあった。聴覚障がい者用に「風の音」とか「鳥のさえずり」「激しい雨」「滝の音」といった字幕が出る。ふだん環境音に気を留めることはないが、森田が効果音にずいぶん神経を使っていることがよくわかった。森田は「演出」として意識的に音を挿入し、しかも大きな効果を上げていた。

森田の編集机。左上のビデオモニターに「森田の原点」の動画が放映された
「森田の原点」という、8ミリ時代の森田のカメラワークと劇場映画の類似点を動画で比較し、8ミリで使ったテクニックが劇場映画でまさに「劇的」に機能していること(このコーナーを企画した宇多丸の言葉)を検証するコーナーがあった。スローニュアンス(ほぼ止まっている人物の手や顔の表情の動きをスローモーションで撮るテクニックを森田はこう呼ぶ)、視覚と動作の一致、視点の誘導、光からハイキーへといったカメラテクニックの話で、たとえば「色彩を演出の一部に使う」を例にする。「工場地帯」(72)で画面を赤くしたが、「の・ようなもの」(81)でも兄弟子が志ん魚にふざけて迫ったとき、画面を赤くし妖しい雰囲気をつくりだした。ノーマルな色調に戻すと同時に「目が覚めただろう」というセリフを入れるといった具合だ。わたしは8ミリは1作もみていないが、たしかに類似のシーンがあった。類似というより、森田監督好みの撮り方といってよい。
警鐘の表現でヘリコプターの爆音を入れたり、フォーカスを「色をボカす演出 気持ち悪さに通じる」という使い方で、「刑法39条」でカモメが飛ぶのをボカして撮り、不気味さを演出として表現した。
「好きな風景 電車」とあり、たしかに路面電車・新幹線・普通列車の車両や車内のを入れるシーンがたくさん出てくる。しかし森田以外の映画でも逆にむしろ電車が出てこない映画を探すほうがむずかしい。森田は普通の監督以上に工場や電車のある風景が好き、もっといえば工場や電車が人(観客)に与える印象や効果が好きだったということなのだろう。
また、セリフでも、ときどきハッとするもの、シュールなものが出てくる。館内展示のセリフ・パネルからいくつかピックアップした。
「豊島園なら一番で入れますね」「お父さん・・・約束ですよ」「もしも亡くなった時は、どうやって下まで降ろすんですか・・・あのエレベータじゃ棺桶も入らないし。・・・自分の家のことだけじゃなくて他人の家のことも心配してください・・・」(家族ゲーム)。
わたしは見ていない映画だが、「結婚してもらえないかしら・・・」「海の底から急にきこえてきたような声だね」(愛と平成の色男)、「僕は人生はギャンブルや思うとる。運不運の波にいかにのっていくか、それが一番面白い思うとる」(悲しい色やねん)と、まるで野田秀樹の芝居のセリフのようなものがあった。
書架に「ダリ全集」(3巻本〕やマグリット展、デルボー展のカタログもあったので、全編シュールな映像とセリフの映画をつくっていれば傑作・日本映画になっていたかもしれない。
記事を書いているうちにわかってきたが、森田監督は論理や構成より、時代の雰囲気、その社会のムードを表現することが巧みだったのではないか、という気がする。
これも展示からだが、監督の名言のなかに「銀幕の海を騒がす自由形」「わたしの映像リズム、わたしの台詞のニュアンス、わたしの切りとる映像・・・」「僕は実験と言うのが好きで、映画を作っていくためには何でもチャレンジしていかなきゃいけないと思うんです」という言葉があった。
今回の森田特集の映画が始まる前に必ず「の・ようなもの」の劇中歌、尾藤イサオの「シー・ユー・アゲイン雰囲気」がBGMとして流された。
See You Again in the Mood さびしくないさ
See You Again in the Mood 南の風で フェイド・アウト
という歌詞だが、80年代の「気分」に戻れた。そして1分あまりの森田作品の自己紹介のような「ショート動画」が映し出された。動画の最後は「映画を観に行くというのは、人に会いに行くこと」という森田の決めゼリフで締めくくられる。
これも森田映画の雰囲気をよく表した演出だと思った。
森田は2011年12月20日、C型肝炎による急性肝不全のため死去、61歳没、もし生きていれば現在75歳、まだまだ現役監督として活躍することができた年齢である。

「流星スーパー」と「4B仮面」、窓の外は伊豆高原の別荘からの景色。右に秋吉との2ショット写真
森田ファンにはたまらないだろうと思われる展示がいくつもあった。
愛蔵本の書棚の前の机の上には「流星スーパー」「4B仮面」という森田の手書きで絵も入ったシナリオ(ただし複製)が置かれていた。「4B仮面」は「今は、よ中の十二時東和銀行のけいびいんが十二号室をみまわった時ぶきみなわらい声がした。けいびいんがあっとゆうときききんこがさっとあいた」と始まる。森田少年の「作品」だ。その当時、日本各地どこにでもありそうな感じだ。
机の右隅に、ロケ先の上組倉庫前で撮った秋吉久美子との2ショット記念写真が置かれていた。秋吉の「万歳(ハートマーク) 秋吉久美子」の直筆サインがある。森田はよほど秋吉に思い入れがあったということだろうか。
「YOSHIMITSU MORITA」の白抜き文字が背にあるディレクターズ・チェア、おそらく愛着していたジャンパーとジーパンを着せたマネキンもあった。なんの説明もないのでスタッフの方に聞いてみた。これは事務所からあとで届いたものなので、展示品扱いはしていない。ただ森田さん愛用の服であったことは確かとのことだった。
森田ファンは、何回も通って、味わったり再学習する題材がたくさん展示されている企画展だった。
展示のコンセプトや解説について、プロデューサー・三沢和子さん(森田監督夫人)へのインタビュー動画と文字をこのサイトで見られる。
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。
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