土砂降りの雨のなか、埼玉県東松山にある原爆の図 丸木美術館に行った。ここは9月29日から大規模修繕で1年半の長期間休業に入るので駆け込み見学だった。
最寄りの駅は東武東上線「つきのわ」。この駅名ははじめて聞く。まさかいま東北・北海道でニュースのクマが出る里ではと歩き始めたがそんなことはない。庭のある住宅が点在するきれいな街だった。スマホのナビを頼りに歩いたが、2.2㎞のはずなのに相当遠く感じた。歩き始めたころ雨だったからかもしれない。
やっと案内看板が見えほっとしたが、そこからでも300mあった。周囲は完全に田園風景だった。帰りがけに購入した『《原爆の図》のある美術館』(岡村幸宣 岩波ブックレット964 2017.4 64p)というブックレットを帰宅してから読んだ。著者の岡村さんはこの美術館の学芸員だ。駆け出しのころ裏の竹林で、朝タケノコ堀をしていると、「霧の向こうからえっちらおっちらと歩いてくるお婆さんがいて『おはようございます』と声をかけたら、丸木俊さんでした」とある(2p)。まさにそんな雰囲気の人里離れた田園のなかにある美術館だ。丸木夫妻のもとの住まいもすぐ近くにある。
美術館は、本館、別館、本館前面増築部分、本館2階増築、新館と増築に増築を重ねたそうなので、正面玄関の向かって左の側面をみると一直線でなく、凹凸になっている。
予定では11時40分くらいに到着するはずだったが、何度も道を間違えたからか、12時20分くらいの到着になってしまった。それでまず玄関に向かい合う八怪堂前のベンチに座らせていただき昼食を摂る。
平日昼間、そのうえ交通の便もあまりよくない場所なのでガラガラかと思ったが、意外に出入りする観客が多い。2人連れのペアが多いが、なかには小グループもいる。場所が場所なので、クルマで来る人のほうが多そうだった。
丸木位里・俊夫妻の名や「原爆の図」については、ずいぶん昔から知っていた。しかし丸木美術館を意識したのは、コロナ前の2018年夏ころ東京芸大で開催された連続講座で学芸員・岡村幸宣さんの「核の脅威と対峙する芸術」という講演と川崎哲さんとの対談を聞いてからだ。建物の劣化や虫食いによる美術館の「危機」のアピールが心に刺さり、たまに寄付するようになった。「支援してくださる皆様へ」というメールを年に何度かいただくようになったが、遠方なのでなかなか足を伸ばせなかった。しかしいよいよ長期休館に入るということで、駆け込みで訪れた次第だ。
1階から2階への階段にあるステンドグラス。この館のなかでは、ただの赤と黄ではなく「ピカ」の閃光と炎の赤に見える
館内に入ると、原爆の図の作品そのものが大きいこともあり、相当広い。たいてい4枚セットの屏風絵2つで1作品(1隻)になっている。
てっきり1部「ゆうれい」、2部「火」から始まるのかと思ったら、いきなり9部「焼津」(1955)から始まり、驚いた。左の5枚屏風には怒りの表情で腕組みする焼津の漁民たち、右の3双には海と空中に浮かぶ第五福竜丸が描かれている。1954年3月焼津の漁船・第五福竜丸はビキニ環礁の東で、アメリカの水爆実験の「死の灰」を浴び、乗組員が被爆した。無線長の久保山愛吉さん(40)は半年後の9月死亡した。これに対し、もちろん地元焼津市議会でも「原子爆弾使用禁止」の決議が行われた。
絵の脇にある小物も気になる。たとえば「焼津」の近くには第五福竜丸の模型が展示されていた。世田谷の私立和光中学3年の8人の生徒が2003年度につくったもので07年に美術館に寄贈された。
5月には杉並の公民館で学習していた主婦たちが署名運動を始め、翌55年8月1日初の原水爆禁止世界大会が広島で開催され、3000万人署名の達成が発表された。10部「署名」(1955)の左3枚には白衣の医師と看護士、女子高生と少女ら、右5枚には署名の列に並ぶ市民、農民、労働者が描かれている。
11部「母子像」(1959)は右は黒雲、左は炎に包まれた女性の死体の山。母子の死体もある。
これらの作品が展示されていた部屋に、西陣織の緞帳「原爆の図」が展示されていた。夫妻は1969年に依頼を受け72年に完成した。被爆者の死体群だけでなく、左上にきのこ雲、左下隅に原爆ドームが配置される。窓から赤い炎が吹き出し、屋根からグレーの煙が出ている。戦争遺跡としてのドームしか見たことがないので、リアルに感じた。
黒の矩形で区切られた12部「とうろう流し」(1968)、13部「米兵捕虜の死」(1971)、被爆韓国人の目玉を烏(からす)が好んで食べるという「からす」(1972)と続く。「米兵捕虜の死」も強烈な絵だった。捕虜米兵のなかに女性もいたというウワサがあり裸体の女性兵士が後ろ手に縛られ座っている。4人の男性の遺体と左にはドクロの山がある。被爆死だけでなく、その前に拷問で虐殺されたというテーマだとのこと。「わたしたちは震えながら『米兵捕虜の死』を描きました」という説明が付いていた。
企画展示室で「簪(かんざし)――位里、俊、スマの名作展」を開催していた。スマは位里の母で、70歳を過ぎてから嫁の俊に勧められ絵画を始めた。1950-55年に制作した作品24点が展示されていた。わたしは「一粒百万倍」(1950)、「わたしとクマ」(1951)、など素朴な作品が好きだった。しかし圧倒的な迫力を感じさせたのは企画展のタイトルにもなっている「簪」だった。大きさも175×182センチと最大で、林と草、ピンクやブルーや色とりどりの花、蝶やネコ、ニワトリとひよこ、鳩・カラスその他さまざまな鳥などの生命が画面に満載、ていねいに描かれている。描き始めてから数年でよくこんなグレードのものまで描けたものだと思った。
俊の作品では「ヤップの島の物語」(1943)、「モスコーの四季(解氷期)」(1944)といった海外でみた光景をテーマにしたものが好きだった。また、たぶん国立近代美術館で一度みたように思うが「裸婦〈解放され行く人間性〉」は、今回も戦後女性の強さの象徴のような力強い絵だと思った。
奧の新館ホールには、原爆の図より後の大型作品が4点展示されていた。
まず「水俣・原発・三里塚」、水俣の「怨」「南無阿弥陀仏」の旗や太鼓、三里塚で逮捕された民衆、そして機動隊が描かれ、周囲に原爆被爆の地獄図がある。
さらに「アウシュビッツ」(1977)は29か国からユダヤ人が集められ、この収容所だけで400万人が殺害された。眼鏡の山、髪の毛の山が描かれていた。
南京大虐殺の図(1975)の真ん中には後ろ手に縛られひざまずかされた中国人の首が、軍刀が一旋回して空中に吹っ飛んでいる。胎児性水俣病患者も描いた「水俣の図」(1980)、二人の眼差しが原爆の被害から、さらに世界や日本の「大人災」へとテーマが膨らんでいったことがわかる。
ずいぶん多くの、しかもサイズの大きい絵をみて少し疲れた。しかし本館2階に上がると「原爆の図」の最初の8点が並んでいた。2階に展示されている有名な原爆の図のみ写真撮影OKとのこと。
原爆の図5部「少年少女」
1部「ゆうれい」(1950)、2部「火」(1950)、水を求めてさまよい歩く3部「水」(1950)、兵隊も犠牲者だった4部「虹」(1951)、5部「少年少女」(1951)、来る日も来る日もさまよっていた6部「原子野」(1953)、竹藪に逃れた7部「竹藪」(1954)、8部「救出」(1955)の8作品である。
1階でさまざまな原爆の絵をみたせいもあるかもしれないが、少し疲れた。8作品のなかでなんといっても5部「少年少女」が印象に残った。建物疎開のため動員され被災した中学生や女学生の無残な死体が折り重なる。右下では姉妹が抱き合っている。これからという時期なのに、その後の人生を一瞬にして消し去られた。
5段の大きな本棚、太い柱や梁がある小高文庫。左の蛍光灯が置かれている座卓に丸木夫妻の遺品の硯、絵具、灰皿、マトリョーシカなどの人形などが展示されていた。
その他企画展示室の2階に小高文庫がある。これは松山城本陣、小高家の書庫を寄贈され、それを1970年に移築したそうだ。太い柱や梁がある、かなり大きな部屋で、5段の木製本棚に本がぎっしり。原爆や戦争関係の書籍、たとえば家永三郎ほか編「日本の原爆記録」全20巻(1991 日本図書センター)、「日本の原爆文学」全15巻(1983 ほるぷ出版)、本多勝一「殺す側の論理」のほか大江健三郎「ピンチランナー調書」や灰谷健次郎「太陽の子」、マンガの「はだしのゲン」などのマンガや絵本、雑誌まで並んでいる。
本館南側、都幾川方向にはベンチとテーブルがある
本当は宋銭堂、流々庵など周辺の建造物や都幾川近くにも行きたかったが、バスの時間を聞くと、あと15分、バス停まで15分でこれを逃すと1時間5分後とのことで、慌ただしく跡にせざるをえなかった。残念だった。
作品もすばらしいが、それ以上に近辺の自然や丸木夫妻の生活や仕事の跡がすばらしかった。そういえば、新館ロビーに和太鼓があった。寄贈されたものだが、丸木俊がたびたび叩いていたものだそうだ。きっと迫力ある演奏だったのだろう。
2年後リニューアルオープンしたら、もう少しゆっくり味わいたい美術館だった。
福島原発告訴団の「ヤダねー!ヤダねー!みんなで止めよう」という歌詞のパフォーマンス。武藤類子さんの姿もあった
☆「さようなら原発9.23全国集会」が代々木公園で開催された(主催:一千万署名 市民の会 参加4500人)。たった1時間半の集会なのに、主催者・鎌田さん、落合さんのあいさつ、ワタシの未来・川崎さん、哲学者で福島出身・高橋さん、Fridays For Future Japan・門脇さんほか若いメンバー4人のパネルトーク、脱原発を実現した台湾、福島、県民投票運動の新潟、など各地報告、さらにおしどりマコケンさんのライブと満載で分刻みの進行とならざるをえず、少し残念だった。
そのなかで、オープニングライブのYaeさん、クロージングのおしどりマコケンさんのライブが秀逸だった。そういえば今年は司会が古今亭菊千代さんで、これもなかなかよかった。
集会後、例年と同じく渋谷コースと原宿コースに分かれ反原発デモを行った。
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