オペラもオケも堪能できた3つのコンサート

この2か月ほどのあいだに聴いた3つのコンサートについて、記録に留める目的もあり書き残しておく。3つのうち2つは、この季節だったので卒業公演のようなもので、若々しい演奏であるはずだが、そんなふうに感じさせない、内容が濃く十分楽しめるコンサートだった。

2月20日(金)新国立劇場オペラ研修所春公演(旧・修了公演)ウィンザーの陽気な女房たち」(オットー・ニコライ)を中劇場で観劇した。
序曲だけは何度か聞いた有名な曲だ。心がうきうきし、「さあどんなドラマが始まるのだろう」と期待を抱かせる。
始まった1幕、舞台はなんとトレーニングジム。自転車、リング(フラフープ)、ストレッチ用ポールがあり、なぜか4段の跳び箱まである。青いジャージのライヒ夫人と赤いジャージのフルート夫人が、ストレッチや体操に励む。てっきり西欧の蒼然とした屋敷や婦人服を予想していたので驚いた。
HPには「強欲ながら愛すべき老騎士ファルスタッフを中心に、快活で機知あふれる女性陣や若いカップルらが繰り広げる喜劇」とある。
パンフのあらすじとネットでみつけた筋書きを参考に、掲載する。本来3幕ものだが、時間の関係なのか、2部編成で上演された。
第1部
フルート夫人とライヒ夫人は騎士ファルスタッフから「愛を誓う」まったく同一文章の手紙を受け取り、この失礼な騎士に仕返しをしようと決意した。
ライヒ氏は、娘のアンナを裕福な貴族シュペールリヒと結婚させたいと考えるが、妻は裕福なカーユス博士を好み、肝心のアンナ本人はフェントンを愛している。フルート夫人はファルスタッフに密会を約束、合わせて嫉妬深い夫も懲らしめようとする。ライヒ夫人が「フルート夫人が逢引しようとしている」とフルート氏に手紙を出す。
何も知らぬファルスタッフがフルート夫人を口説いている。ライヒ夫人があわてて外から入ってきて「フルート氏が怒り狂って町の人たちを引き連れこちらに向かっている」と告げる。
夫人たちは準備した洗濯かごにファルスタッフを隠し、清掃員に「テムズ川に投げ捨てる」よう言いつける。
フルート氏と町の人が部屋中探すが浮気相手はみつからない。疑いをかけられたとフルート夫人は嘆き、皆はフルート氏を責め、妻に謝罪せざるをえなくなる。
(2幕)
ファルスタッフのところにフルート夫人から2通目の手紙が届く。「今夜夫は鷹狩でいないので、もう一度来てください」。ファルスタッフは機嫌を直し居酒屋の客たちと飲み比べをする。
そこにバッハという偽名でフルート氏が「カネを渡すからフルート夫人をくどいてほしい」と頼み、ファルスタッフは引き受ける。
第2部 
舞台はライヒ家の庭の物干し場、右に自動洗濯機2台、左にアイロン台。シュペールリヒとカーユスが干された洗濯物の陰に潜んでいる。フェントンが現れ愛のセレナーデを歌い、家からでてきたアンナと愛を語り合う。それをみたシュペールリヒらは嫉妬する。
               *
ファルスタッフが再びフルート夫人を口説き始めると、またもやライヒ夫人が来て「洗濯かごの件を知ったフルートさんが鷹狩から戻って来る」と知らせる。
今度はファルスタッフは太ったおばさんに変装させられる。
帰宅したフルート氏は洗濯かごを剣で突くが、だれもいない。部屋中探すがファルスタッフはみつからない。
フルート夫人がおばさんを連れてくると、フルート氏は怒って叩き出す
(3幕)
夫人たちは、これまでのことをフルート氏に打ち明けるとフルート氏は謝り、みんなでファルスタッフにいたずらを仕掛けることにした。夜の祝宴に狩人ハーンとして変装させ招待する。一方ライヒ氏はアンナとシュペールリヒ、夫人はカーユス博士と結婚させようとする。
ファルスタッフは妖精に邪魔される。アンナはフェントンと結婚し、両親はそれを認める。

幕間のオーケストラ・ボックス

なかなか楽しい喜劇だったし、第1部の始まりがトレーニングジム、第2部の始まりが青空の下の物干し場という演出が斬新だった。カロリーネ・グルーバーという方の演出だ。以前、新国立でみた「指輪」のブリュンヒルデが三輪車を乗り回したり、ワルキューレの娘たちが患者をストレッチャーに乗せて走り回っていた演出に驚いたことがあった。しかし今回の演出ではあまり違和感を感じなかった。おかみさんたちの井戸端会議の場は現代ではジムもありえるし、洗濯物干し場で、シーツの陰に隠れたり、愛をささやくというのもファンタジックでよいと思った。
また最後の夜の庭で、白いシーツをかぶった妖精たちがうごめき合い、全自動洗濯機の上に白いベールの花嫁アンナを立たせて8人の妖精が行進するシーンも美しかった。
「鷹狩へ出かけよう」と乾杯し歌うシーンで、スポットライトを浴びたソリストのみ動き、コックや医者など衣装で職業が判別できる村人はストップモーションになる演出も、ちょっと歌舞伎のようでよかった。
歌手では、わたしはアンナ役・渡邊美沙季(26期3年次)がしっとりとし、かつよく通る声でよかった。歌がうまいのは全員だが、この人は演技もよかった。男性ではファルスタッフ役・町英和(賛助・6期修了)、次にフェントン役・矢澤遼(27期2年次)がよかった。偶然新婚夫婦役だが、わたしのような素人の場合、役柄に左右されているかもしれない。
オケは東京シティ・フィル、指揮・森内剛だった。この方もわたしは知らない方だが2018年からフランクフルト歌劇場のヘッドコーチならびに指揮者ということなので、オペラの世界では有名な方なのだろう。

3月1日(日)午後、練馬文化センター高田馬場管弦楽団107回定期演奏会を聴いた。
指揮:阿部未来、プログラムは下記3曲だった。
   ワーグナー:歌劇「リエンツィ」序曲
   ワーグナー:ジークフリート牧歌
   ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調「ロマンティック」
メインはブルックナーの交響曲第4番 変ホ長調「ロマンティック」。馬場管に合う曲だった。金管とホルンが大活躍した。なお管楽器の活躍という点では「リエンツィ序曲」も最後1分間ほどのフィナーレの管打楽器の迫力がすばらしかった。
指揮の阿部未来は2017年、2020年に続き3度目の客演指揮だそうだ。2017年は聞いていないが2020年ティアラこうとうの定演は調べてみると、聞いていた。ラヴェル「ラ・ヴァルス」、ドヴォルザーク「交響曲第7番」などだが、残念ながら覚えていることはない。
管楽器の良さを引き出しておられたので、馬場管との相性はよいと思う。

前回の「崇から慧へ 馬場管106回定期演奏会」でも述べたが、馬場管のパンフは優れている
ジークフリート牧歌」は聞いたことはあるが、ジークフリートは「指輪」のジークフリートだと思っていたら、パンフを読むとワーグナーの息子の名だった。
スイス・ルツェルン湖の湖畔トリプシェンの邸宅で作曲された。ワーグナーは57歳、コジマと8月に正式に結婚、息子ジークフリートがちょうど1歳のときだ。コジマの誕生日は12月24日だがクリスマスイブなので、翌25日の朝7時半、小島の寝室に向かう階段に15人の楽師が陣取り演奏を始めたと、プログラムに書かれている。それでこんな穏やかな曲になったというわけだ。すばらしいクリスマス・プレゼントだ。
ブルックナー4番については、1874年1稿、1878/80年2稿(スラッシュは78年(主として3楽章)、80年(主として4楽章)に改定したという意味)、89年3稿の3種があるが、ブルックナー全集を編集したハースが3稿を認めなかったため大幅に2稿に戻し1936年に出版したハース版、その後ノーヴァクが改訂し1953年に出版した版がある。この日の演奏は、1878/80年ノーヴァク版だった。作曲家自身が改訂し、かつ楽譜校訂者がさらに修正する、それで複数の楽譜が存在する。ようやく理解できた
もうひとつ「チューバ発展の歴史」というコラムが付いていた。
チューバは1835年特許の新しい金管楽器だそうだ。現在よく使われている楽器ではサクソフォンが新しいと思っていたが1846年開発なので、11年しか変わらない。たしかに意外なほど新しい。1836年開発時はF管、1940年代になりC管、B管が加わった。Es管はイギリスの金管バンドで使われる。大きさは、一番短いのがF管、Es、C、Bの順に大きくなる。この日の演奏に使われたのは、ワーグナーのリエンツィはF管、ブルックナーは緩徐楽章はCかB、それ以外はF管を使うことが多いそうだ。なおブルックナーが交響曲にチューバを使い始めたのは1877-1878年以降だそうだ。それで4番も1874年の1稿ではチューバは使用されず78年の改訂ではじめて使われたとあった。

3月29日(日)午後、ミューザ川崎シンフォニーホール15回音楽大学フェスティバルオーケストラを聴いた。首都圏8音大に、上野学園が消えたので関西の音大選抜ということで京都市藝大から3人、相愛大学から1人が加わった。念のため首都圏8音大は、藝大、桐朋、国立、武蔵野、東京、昭和、東邦、洗足学園の8校のこと。
メンバーリストで数えると総勢128人の大所帯だが、編成上管打楽器(ハープ含む)67人はコープランドが終わったところ(前半終了時点)で全員入れ替わる。8音大をできるだけ平等に扱わないといけないからだろう。また大編成なので、曲目もある程度限定され、管打楽器が多く使われる曲になる。
今年の指揮はアメリカのジョン・アクセルロッド、60歳の男性指揮者だった。
曲目は
  バーンスタイン:「キャンディード」序曲
  コープランド:バレエ組曲「アパラチアの春」(管弦楽版)
  ドアティ:ルート66
  ガーシュウィン:パリのアメリカ人
オール・アメリカプロだった。
アクセルロッドもまったく知らない方だったが、プロフィールによれば2004年ルツェルン交響楽団首席指揮者およびルツェルン劇場音楽監督、09年フランス国立ロワール管弦楽団(ONPL)音楽監督とあるのでヨーロッパでも活躍されているようだ。
「キャンディード」序曲を軽快に振り終え、コープランドに移った。「アパラチアの春」はかつてレコードで何度か聞いたはずだが、なかなか凝った構成の曲だったことを再発見した。

後半最初の「ルート66」は日本初演、タイトルから推測される車の軽快さは思ったほどなかったが、ジャズ風味のすごく迫力がある作品だった。ドラムセットの演奏が光っていた。
ちなみにルート66はシカゴからサンタモニカまでアメリカ大陸を横断する3755㎞の旧国道。1960年台には日本でも放映されたテレビドラマがあった。
日本でなぜ演奏されなかったのかよくわからない(楽譜の問題かも)。もっと演奏されてよい、迫力あるいい曲だった。ほとんどの人にとって初めて聴く曲だったはずだが、拍手はひときわ高く、拍手が鳴りやまなかった
指揮者アクセルロッドは、曲がのってくると腰を振り楽しそうに踊り始めるが、さらに音楽が盛り上がると、逆にどっしり構え、指揮棒を振るというタイプの方だった。
またサービス精神も旺盛で「アパラチアの春」演奏後、拍手に応えなんども舞台に登場し、さまざまなパートに拍手を贈ったあと、最後は観客に「スコア」への拍手まで要請していた。また、このコンサートは練習時間の関係もあるのだろうがアンコールはないことが多いが、鳴り止まぬ拍手の末「パリのアメリカ人」の後半部分を再演奏させた。
3つそれぞれ性格の違うコンサートだった。演奏ホールでいうと、オペラの中劇場は1階719、2階187の906席、馬場管の練馬文化は1階779、2階553の1332席、8音大のミューザ川崎は舞台裏まで席があるヴィンヤード(段々畑)形で、1階273、2階1081、3階341、4階242で1997席、それぞれ個性があるホールだ。練馬文化はどこにでもあるタイプだが、こうして考えると、汎用性のあるホールもそれはそれでよい、これも「強み」だと思う。
☆せっかく川崎まで来たので、京急川崎から東へ300mほどの立飲み「天下」に立ち寄った。ちょうど巨人対阪神の中継中で、ほとんどの客はテレビをみていた。スタッフはいつもより多い3人、マスターが入店する新しい客に対応していた。いつものとおりとても腰が低く感心する。この日は時間がなく、チューハイ1杯とチーズだけだったが、またゆっくり来たい。いつ来てもいい店だ。

天下
住所 川崎市川崎区宮本町2-4 ドルチェ宮本
営業時間 14:00 - 22:00(日・祝は20:00まで)
定休日 なし

 

●アンダーラインの語句には、ユーチューブ動画も含めたリンクを貼ってあります。
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修学院と桂――広大さと巧み、2つの離宮

修学院離宮と桂離宮、京都の2つの離宮を見学した。わたしは、若いころ詩仙堂が好きだった時期はあるものの、とくに庭園に興味を持っているわけではない。ただ、見に行けるうちに行っておかないとと、たとえば昨年富士山に登ったのと同じような思い付きで訪れたに過ぎない。
参観するには、事前に宮内庁に申し込むことは知っていた。さぞ混みあっているだろうと心配しつつ1カ月前にウェブ検索すると、意外なことに十分空きがあり、大丈夫だった。もちろん季節によるのだろうが、わたしが行った日は当日受付もやっていた。
まず修学院離宮へ。がんばって朝9時の回に参加。地下鉄・松ヶ崎で市バスに乗り換え修学院離宮道で下車850mなのだが、はじめて来る土地でしかも緩い上り坂なのでずいぶん遠く1.5㎞くらいあるように感じた。方向音痴のせいもあり途中で3-4回道を聞きやっと正門にたどり着いた。
山腹にある寺のような感じだった。この離宮は、後水尾上皇(1596-1680)が構想し1659年に完成した。将軍でいうと4代家綱の時代だ。広さが54.5万平方メートル、野球場12面分、東京ディズニーランドと同じくらいの広大さを誇る。そのうえ、山の斜面に建つので垂直差がある。

上離宮の隣雲亭からの眺め。下に浴龍池、遠く西山が見える
見学は下から上へ。御幸門を入り、下離宮寿月観から。床の間右手の棚の上の天袋に鶴、下の地袋に岩と蘭、襖に虎渓三笑の絵があった。虎渓三笑は水墨画だった。建物はこけら葺きの数寄屋風造りで、落ち着いていた。

上離宮から中離宮への道の山の下側にも上側にも段々畑や棚田が広がっていた。近所の農家に貸し出し作物をつくっているそうだ。宮家の庭のなかに田畑があるとは、スケールが違う
そんな景色をみながら中離宮へ向かう。
中離宮には、楽只(らくし)があった。これは後水尾が娘(八女)の光子(てるこ)内親王のために建てた居間だったが光子が尼になったため林丘寺という尼寺になった建物だ。いまも裏の崖の上に寺があり、急な石段でつながっている。
楽只軒の斜め裏に軒のつながる客殿がある。客殿は後水尾上皇の皇后東福門院丸(徳川秀忠の五女・和子)が使っていた。東福門院の死後、光子のために移築された。

客殿・一の間 霞棚と左右の襖
有名な霞棚がある。5段の棚が霞がたなびくような形になっているのでこう呼ぶ。桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚とともに「天下の三棚」と呼ばれるそうだ。わたしは左右にある、上が金の正方形、下がブルーと金の菱形模様の襖のデザインが好きだ。
客殿北側の廊下に網干の欄干がある。漁の後、海辺に干してある網のデザインとのことで、これもデザインのセンスがよい。
道を引き返し、松並木の上り坂をかなり上がったところに上離宮がある。ここは大きな池・浴龍池を巡る回遊式庭園になっている。
門を入り石段を上りもっとも高い場所に隣雲亭がある。眼下に浴龍池、右に北山、下に京都の町が広がりそのなかのやや手前の広い緑が御所だそうだ。山の切れ目の右が大山崎、ずっと先のビルが高さ300mのあべのハルカスとのことだったが、わたしにはわからなかった。とにかく見晴らしがよく気分がよい。山登りで山頂に立ったような気になった。

再び石段を下り、右手に進むと小さな川がありせせらぎの音がする。そちらを見ると滝がある。那智の滝をモデルにつくったという。回遊式なので池の周りを歩き、楓橋を渡ると茶屋・窮邃(きゅうすい)がある。大きな窓があり、跳ね上げ式の戸が付いている。
その先の土橋の欄干に大きな鷺が身じろぎもせず止まっていた。人慣れしているのだろう。さすがに2mくらいの距離まで近づくと、池のほうに優雅に飛んで行った。鷺が棲むということは、池に小魚がたくさんいるということだ。これだけ林が広がるので鳥や昆虫も各種いるのだろう。
浴龍池を半周ほど歩き、上離宮の門に戻る。途中には簡素な屋根付き船着き場もあった。和船が停めてあったが、舟遊び用ではなく庭園の作業用の舟とのことだったが、往時の優雅な様子が想像できだ。
ガイドさんに連れていっていただき70分ほどのいい散歩になった。
この離宮は垂直方向に広がり、西山や北山も借景にし、かつ離宮内に田畑まで存在する広大さに圧倒された。作物は、産直野菜として近辺で販売されることもあるそうだ。
このあと四条経由で阪急に乗換え桂離宮に向かった。余裕をもって14時の回に申し込んだが、昼食を済ませても13時に着いた。
ただし、ここも修学院同様、駅からかなり離れていた。離宮なのだから、そういうものなのかもしれない。じつはわたしは桂生まれだ。ただし自宅は駅西口だったので、桂川沿いのこのあたりということは知っていたが、正門がどこにあるのかは知らない。塀の周りをおおかた半周歩いて、やっと受付にたどり着いた。ツアー出発ギリギリだったが、当日受付に滑り込ませていただいた。
桂離宮は、後陽成天皇の弟・八条宮智仁(1579-1629)と息子の智忠(1619-1662)の親子二代が50年かけてつくった離宮である。最初に古書院が1615年ころ完成し、智仁が1629年に亡くなったあと10年余り邸内は荒れていたが智忠が中書院、新御殿、月波楼などを新増築して完成させた。将軍でいえば、秀忠、家光、綱吉の時代に当たる。
修学院と比較して、規模も6.9万平方メートルと小さいが、修学院が山を上る垂直型の離宮だったのに対し、こちらは池の周りを巡る水平型の離宮で、対照的に大きな川のほとりにある。ただ、池や茶屋を少し進むごとに違う景色がみえ、その変化を楽しめる作りになっていた。1935年に訪れたドイツ人建築家ブルーノ・タウト(1880-1938)が日記に「泣きたくなるほど美しい」と記したのもなんとなく理解できた。

松琴亭手前にある天橋立 森と水と石の構図がきまっている
池のほとりに松琴亭、賞花亭、笑意軒、月波楼の4つの茶屋と持仏堂の園林堂がある。外腰掛という四阿(あずまや)から松琴亭のほうに少し歩くと天橋立という州浜と石灯籠があり、バックに石橋、さらに背景に樹木の景色が広がる。ビシッと決まった構図だ。
松琴亭ではブルーの市松模様の襖長方形の窓笑意軒では円形の窓矢の形の引き手などそれぞれ見どころがあった。
しかしそれ以上にこの離宮の見せ場は石と苔である。苔は残念ながらこの時期は枯れて黒くなっていたが、石は石灯篭、石橋、石の手水鉢などだけでなく、歩行通路の飛び石や延段が屋敷全体のアクセントになっていた。延段は、真書(楷書)草書、その中間の行書という区別がある。真書はかっちりした書き方なので切り石の組合せ、草書は大小の自然石の組合せ、行書はその中間なので大小の石に部分的に切り石を混ぜるという具合だ。

外腰掛前の行の延段(立つ人の手前の長方形の切り石が真書)
最後に客殿に着く。古書院中書院新御殿雁行型に並ぶ。ただ建物を外から見られるのは古書院だけ。残念ながら新御殿にある桂棚は見られない。見るのは古書院の月見台という縁側だけだ。月の桂という取合せは有名らしく、中学の校歌にも「月の桂の風さえて」という一節があった。なお高床式になっているのは、月や庭の景色を眺めるためというだけでなく、桂川が氾濫したときの備えだそうだ。

全体に、木や石の手入れが非常に行き届いている剪定をとてもていねいにするほか、石や花や建物の手入れや心配りに並々ならぬものを感じさせる、修学院離宮でも同じように感じた。以前皇居乾通の桜をみたことがある。外の北の丸公園の桜も立派だった記憶があるが、皇居内は手入れや剪定のレベルが違うように感じた。それと同じことだ。
そういえば、ガイドの方もていねいだったが、離宮で働く人は宮内庁か皇宮警察の所属だそうだ。そういうこともあるのだろう。
こちらも60分ほど、アップダウンはないが、苔を踏まぬよう、飛び石を注意深く歩かないといけないので、少し緊張しながらの散策だった。
桂離宮は、すみずみまで人の手が入った完成された人工の庭という印象が強い。
修学院も桂も人と自然の協同ということだが、背景には宮中、公家、武士、宮仕えの人、御所や離宮で働く職人や農民などの人間ドラマもあったはずだ。
たとえば八条宮智仁は7歳で秀吉の養子になったが、淀君に実子・鶴松が生まれたため3年後に離縁された。ただ秀吉は八条宮家という宮家をつくり3000石の破格の待遇を与えた。また智忠の妻は加賀藩主・前田利常の娘で、その財力が桂離宮造営の原資となった。後水尾の妻は将軍秀忠の娘で、その資金も造営費になった。ただ武家の徳川とは角逐があり、直接には紫衣事件で1629年33歳のとき突然退位し、二女の興子が明正天皇として即位し院政を布いた。武家と天皇家のドラマもあれば、源氏物語のように宮中のなかの人間関係、そこで働く人のあいだでもさまざまなドラマがあったはずだ。
なお、後水尾は1658年と63年に何度か桂離宮を訪れた史実もある。修学院造営になにか影響している点もあるかもしれない。
桂離宮と車道を隔てて桂川が流れ、桂大橋のたもとに大きな常夜灯があった。そういえば、子どものころ松尾大社の祭りの船渡御を大橋近くで見た記憶がある。

バス通りを少し歩いたところに中村軒という和菓子屋がある。おみやげ用のかつら饅頭、三色だんご、しそ餅などがメインだが、2階ではお菓子のほか、ぜんざい、あんみつ、にゅうめん、大豆コーヒーなどのメニューもあるカフェになっている。。
わたしは麦代餅(むぎてもち)を注文した。カウンター席で、きな粉がたくさんかかった餅を食べながら、窓から家屋や旧山陰道をながめた。

このあと用事があり神戸に向かった。予定より1時間早かったので、例によって浜田さんブログ「居酒屋礼賛」で知ったいちよしという立ち飲み酒場にはじめて行った。カウンターのみ10席あまりの店だ。
浜田さんの記事でみた豚ミミガーや黒毛和牛のもも焼を注文しようとすると、「今日はない」とのことだった。「今日のおすすめ」がメインで毎日メニューを変えているようだ。マスターの大ちゃんさんが研究熱心なのかもしれない。タコハイはあった。
すぐそこにみえているマグロの切り落としを注文したが、見栄えだけでなくとてもおいしく、びっくりした。
「この店には浜田さんのブログ〈居酒屋礼賛〉をみてきた」というと、たまたま2人いたお客さんやマスターと話がはずんだ。客の方は浜田さんに会ったわけではないが、浜田さんに同行された方がその方と遠い知り合いだったとのことだ。世の中は狭い。わたしが野菜のメニューを探していると、「わさび菜マヨネーズ」がおいしいと勧めてくださったので注文すると、本当においしかった。
いい店の条件は、料理・酒、価格、店の雰囲気のほか、常連客の方のホスピタリティがあると思う。客はもちろん日によって違うし、たまたま隣にいらっしゃっただけだが、こういういい思いをすると、機会があれば再訪したくなる

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少し元気をもらえた3.1朝鮮独立運動107周年集会

日本では、自民・高市政権が衆議院選挙で2/3と圧勝し、世界ではアメリカ・イスラエルがイラクに戦争をしかける。昨年まではまだ「日に日に世界が悪くなる」(朝ドラ「ばけばけ」主題歌の歌詞2番)だったのが、「急激」に世界が悪くなり、すっかり様変わりの状況のなか、今年も2月28日(土)午後、3.1朝鮮独立運動107周年東京・屋内集会が文京区民センターで開催された(主催:「3.1朝鮮独立運動」日本ネットワーク(旧100周年キャンペーン) 参加120人)

逆に今年は、少し元気が出る集会だった。とくに布施さんの「覇権国の力による横暴を抑止するには、周辺の国々が連携し平和を築くしかない」というASEANの数々の実践を紹介する講演はわたしたちに勇気を与えた。また韓国ゲストの2024年12月尹錫悦のクーデターを市民が跳ね返した体験は、何度聞いても気持ちよかった。 
布施さんの講演は、1919年3月1日の「独立宣言書」のなかの「怒りと不満を持っている、2000万の人々を力で脅して抑えつけることでは、東アジアの永遠の平和は保障されない」という一節の朗読からはじめ、「朝鮮独立運動は、東アジアの平和という視点を持ったものだということを改めて非常に感銘を受けた」と結び、本論に入っていった。
 
高市政権の大軍拡と“軍国主義”の道を問う
          ――今こそ「信頼による平和」を東アジアに

                       布施祐仁さん(ジャーナリスト)
1 さらなる大軍拡の道へ
今朝(2月28日)読売朝刊トップに「日米「反撃能力」手順を確認、長射程ミサイル配備を見据え図上演習」という記事が出ている。1月末から2月に、南西諸島方面での有事発生を想定し、いわゆる「反撃能力」(敵基地攻撃能力)の日米の手順確認訓練を行ったという内容だ。国名は書いていないが、台湾有事を想定したミサイル攻撃訓練すでに行われたということだ。
日本はここ5年で年間防衛費年間5兆円(GDP比1%)を10兆円規模(GDP比2%)に急速に拡大し、軍備増強を進めた。これは2021年5月バイデン・菅共同声明で、50年ぶりに台湾に言及したことから始まった。22年12月岸田政権が安保三文書を改訂し中国を最大の脅威と位置付け、大軍拡方針を決定した。
アメリカの対中国抑止戦略は、九州から台湾にかけて連なる南西諸島、台湾、フィリピンの島々のライン(第一列島線)にずらっとミサイル網あるいはミサイルの壁を築くというものだ。これに組み込まれ自衛隊もミサイル強化を進めてきた。昨年12月トランプ政権の「国家安全保障戦略」でも、中国の台湾侵攻の抑止が最優先課題と位置づけている。同盟国はもっとやれ、もっとカネも出せ、GDPの3.5%か5%、金額ではさらに10兆円、20兆円増やせと言っているわけだ。
増やした予算で、高市政権はなにをするか。まずは引き続きミサイル整備だ。射程の短いものから長いもの、敵地攻撃、対艦、航空機や衛星攻撃など各種ミサイルの(国内)開発とアメリカからの購入を続ける。加えてドローンだ。最近のミサイルは高額なので、安く大量につくれるドローンを整備する。防衛省は新しい防衛構想、多層的沿岸防衛体制「SHIELD」を2026年度予算に組み込んだ。
また、ずっと潜っていられるので相手に見つからず、どこからでもミサイルを打ち込める原子力潜水艦の保有、弾薬や燃料の備蓄など継戦能力の強化防衛産業の強化武器輸出の推進もある。殺傷能力のある戦闘機やミサイルの輸出は「5類型」で規制してきたが、それも撤廃する。
さらには、非核三原則の見直し、憲法9条の「改正」も視野に入れるということで、文字通り国論を二分する、こういった政策を高市政権は進めていこうとするのではないかと見ている。

2 アメリカのアジア戦略の変化
ところが、ここに来てアメリカの対中政策が大きく変わってきている。
それが如実に示されたのが、昨年10月末のトランプ大統領と中国の習近平主席との韓国・釜山での会談だ。トランプはSNSで「私と周主席とのG2会談は両国にとってすばらしいものだった、この会談は永遠の平和と成功につながる」と発信した。トランプの「G2」という表現に注目すべきだ。アメリカ一極体制からG2=米中二極体制への変化だ。

昨年末の国家安全保障戦略にも「もう世界の支配は追求しない、アメリカはむしろ拒否する、それは間違いだった」と明記した。
そこで打ち出したのが、いわゆるモンロー主義だ。19世紀初頭の第5代大統領だったジェームズ・モンローが打ち出したアメリカの外交、安保の基本方針だ。南北アメリカ大陸にはヨーロッパの国が手を出すな、植民地の拡大や干渉は認めない、その代わりわれわれもヨーロッパには手を出さない。お互いに勢力権、テリトリーを認め合うことで、自国の安全と利益を守ろうとした。
背景に、相対的にアメリカの国力が低下していることがある。西半球においてはしっかりと覇権を握る。しかし、それ以外の地域については、例えばヨーロッパならヨーロッパの諸国に任せる。そういう方向に今アメリカは向かっている。
では中国に対して、どういうふうに考えているのか。
国家安全保障戦略には「アメリカが成長軌道を維持し、北京との真に互恵的な経済関係を持続できるなら、世界最大の経済大国としての地位を維持して世界の羨望の的となるだろう」と書かれている。中国と安定した関係を築き、しっかり貿易を続けることがアメリカの成長にもつながる、ということだ。
今年1月、国防総省が発表した「国家防衛戦略」には「不必要な対立を避ける」と明記し、逆に台湾への言及は一言もない。今、そういう状況になっている。これまでのいわゆるパックスアメリカーナ、つまりアメリカの覇権、アメリカの力による平和は、アメリカにとっても大きな負担になってきているという状況が今生まれている。
これはアジアにとっては新しい国際秩序、つまり米国の覇権の周辺に新しい国際秩序を生み出すひとつのチャンスでもあると、わたしは捉えている。

3 東アジアで新しい国際秩序を構築する可能性
アメリカ自身がこのアジアにおいてもう覇権を追求しないとなったとき、その後に、代わって中国の覇権が来るのでは困るわけだ。やはりわれわれが目指すべきものは、アメリカの覇権でも中国の覇権でもない、覇権のない東アジアというものを目指すべきだと、わたしは考えている。
それを先駆けてやっているのが東南アジア諸国、ASEAN諸国なのだ。力による平和ではなく、いわゆる対話と協力による平和を構築していく、そういう国際秩序を作ることを目指して外交努力を積み重ねている。対話は外交、協力は経済協力だ。
「中国相手に外交で平和なんか作れるのか。外交で中国の侵略は抑止できないのではないか」「やはり軍事力、力でないと中国は抑止できないんじゃないか」と考えてる人が多いと思う。
私は、けしてそうは考えていない。まさにこのASEANが中国とのあいだで近年進めてきた外交というものを紹介したい。
ASEAN諸国にとって、安全保障上の大きな懸念事項が南シナ海の島嶼をめぐる領土問題だ。領海は地上の領土(島や岩礁も含む)から12海里(約22.2キロメートル)のエリアだが、南シナ海では各国重なり合っている。そのうえ中国は、南シナ海全体が中国の歴史的な権利があると主張している。
1988年、南シナ海のスプラトリー諸島で中国とベトナムの武力衝突が発生し、死傷者も出た。
どうしたか。やはり外交だ。まず最初に始めたのがインドネシアだ。1990年「南シナ海の潜在的紛争の制御に関するワークショップ」に中国も招待し、対話によって戦争を予防することを始めた。
ASEAN自身は1991年、中国を対話のテーブルにのせることを目指した。しかしなかなかうまくいかなかった。中国は、領土問題は2国間で話し合う問題だと主張した。国力の差が非対称なので、中国にとっては1対1で話した方が有利に交渉できる。しかしASEANのほうは、中国との貿易がなければ経済が成り立たない国がたくさんあり1対1はやはり不利だ。
そこでASEAN全体としてまとまって中国と交渉しようとした。中国はなかなか乗らなかったが、粘り強く交渉して、1996年にはASEANと中国は、正式な対話のパートナーとして位置付け、対話を制度化する。中国をテーブルにのせることに成功した。
曲折ありながら粘り強く対話を続け、6年後の2002年に「南シナ海に関する関係国の行動宣言」に署名し、ひとつの合意に達した。内容は、南シナ海の島や岩礁をめぐる領土問題を平和的に解決する、武力を使っては解決しない。そして、偶発的な衝突を予防するため、海洋汚染の問題など協力できる分野では協力を進める、あるいは、偶発的な衝突が起きないように軍同士とか、当局同士の連絡の手段を作るという合意だった。
合意に至るということは1段階上の信頼関係に進むということで、2003年、中国が、ASEAN諸国が作っている東南アジア友好協力条約に、東南アジア域外国として初めてこの条約に調印し加入した。東南アジアのエリア内では武力行使はしない、紛争を平和的に解決するというルールを定めたものだ。
じつはこの条約、中国よりも先に日本に対しASEAN諸国から「入りませんか」と打診があった。だが日本はアメリカとの同盟関係があるので断った。しかし中国が先に入ったので、これはまずいと翌2004年に加盟した。アメリカも2009年に加入し世界中の国が入った。
ASEANはそこで止まらず、宣言をより強化するため、法的拘束力のある行動規範に格上げしようと、案文をつくり合意を得て、今交渉を進めている。
重要なのは、この対話を続けることだ。思い出していただきたいのは、朝鮮半島の問題でも2018年、トランプ大統領と金正恩が米朝会談をした。そのあいだ北朝鮮は1発のミサイルも撃たず核実験もしていない。対話、交渉し続けるあいだは、信頼を崩すような行動を自制するようになる。対話を続けることは非常に重要だ。
南シナ海でも、少なくとも1988年以降今日まで38年間、南シナ海で軍同士がぶつかるといった武力衝突は発生していない。もちろん中国の海警局の船がフィリピンの沿岸警備隊の船に対して水をかけるなど威圧的な行動が起こったことは事実だ。これはけして容認できるものではないし、やるべきでないということは言うべきだ。
ただし、少なくとも軍事力を使って戦争をして他国が支配してる島を奪い取ることはこの30年以上していない。こうした対話と合意を作ってきたASEAN外交の成果だと思う。
では、話し合ってきたからそういう成果が得られたのかというと、それはあまりにも単純すぎると思う。
外交は、やはり軍事力の裏付けがないと力を発揮できないという人がいる。けしてそうではない。ASEANには軍事力はないのだから。ASEAN外交の裏付けは経済力だ。

中国の最大の輸出相手国はアメリカだが、地域ではASEAN

中国が経済発展してきたのは外需(貿易)であり、国として最大の輸出相手国はアメリカだが、グラフのように地域ではASEANだ。
そういう相手と南シナ海のどこかの岩を巡って戦争するとは、どう考えても割に合わない。こういう事情も戦争を予防する力になってきた。
じつは尖閣諸島問題でも、中国が領有権を主張し始めた1970年代からもう50年以上経っているが、1度も戦争になっていない。
ASEANは個別に交渉すればやはり弱いので、まとまって交渉し、対話を重ねることによって成果を出してきた。このASEANがやってきた努力をさらに強める、そのために日本が、あるいは韓国も一緒になり、この動きを強めることをやっていくのがいいのではないかと思う。

4 亡国に向かう高石政権
いま高市政権がやろうとしてる方向は、それとは真逆だ。台湾有事の高市発言だけでなく、アメリカに言われるがままに、防衛費をさらに大幅に増やし、ミサイルやドローンをたくさん増やし、中国に向けて南西諸島に配備する、あるいは原子力潜水艦を持つことを進めていく。当然中国は対抗してくる。
日米安保があるからアメリカは助けてに来てくれると思っている人が多いが、これは助けに来てくれない。アメリカは中国との安定的な関係を何よりも重視している。また安保条約は公海には適用されないので、公海で衝突した場合には安保条約は適用されない。
日本が単独で中国と戦う状況にもなりかねない。もちろん日本が単独で中国と戦うような状況は最悪だ。中国と戦争になれば、中国からいっさいモノが入ってこなくなる。生活すら成り立たなくなるような状況になりかねない。
私はこれは亡国の道だと思っている。なぜ、こんな亡国の道を突き進むのか、利益を得る人たちがいるからだ。
これまでのようにアメリカの力に縋(すが)るような安全保障ではなく、ASEANがやっているように地域の国々と協力し、対話と協力による地域の平和秩序を積極的に作っていく方向で日本は進むべきだ、と思う。

大国に対して。大国以外の国が安全を守るためには、いちばん重要なのは力ではなく周囲の国々とまとまること、信頼関係を作ること。それでしか大国に対峙していけない。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」 日本国憲法前文の一節だが、この機会に改めてお読みいただきたい。

●韓国ゲスト
ユン・ソンヨル一味の親衛クーデターを粉砕した
光の広場、市民の闘いと社会大改革

 
       朴錫運(パク・ソグン)さん    (韓国進歩連帯常任共同代表、社会大改革委員会委員長)
この集会冒頭、主催者から驚くような知らせがアナウンスされた。この日スピーチするはずだった朴錫運さんが前日(27日)羽田空港で入国拒否され、拘束されたというのだ。入管の説明では、朴さんが過去に韓国で有罪・執行猶予されたからだという。しかも金曜のうち、あるいは土曜朝帰国すれば韓国からネット中継でスピーチできたのに、拘束を続け土曜夕方の帰国させたというのだ。
そこで急遽、社会大改革委員会委員のチュ・ジェジュンさんが、朴さん作成のレジュメに沿ってオンラインで話してくださることになった。
スピーチの骨子は下記のようなものだった。
1 光の広場、市民の闘い 尹錫悦退陣と社会大改革
1)尹錫悦退陣・政権交代の闘い、予備段階 
2022年5月尹錫悦政権が発足したが、各種不正が明らかになり「民心離反」が臨界点を超える。また24年4月の総選挙で、野党「共に民主党」が175議席、与党「国民の力」108議席を大幅に上回った。
尹政権の相次ぐ「拒否権」に対する闘いが始まり、11/9労働者中心の第1次退陣総決起集会、11/16尹を拒否する第1次市民大行進(10万人の群衆)から11/30第3次(20万人)へと、3次にわたり波が高まった。
2)光の広場、市民の闘いの経過――親衛クーデター粉砕のために共に乗り越えた5つの丘
焦り始めた尹は12月3日非常戒厳を宣布した。それに対し議員たちが国会の塀を乗り越え、戒厳解除を議決した。次は弾劾訴追の闘い、逮捕・拘束の闘い、裁判所での罷免を巡る闘い、6月4日選挙を経て李在明大統領に政権交代と市民と政党は5つの丘を乗り越えた。

2024年12月3日、市民が兵士と向き合い、素手で銃口をつかんだ

3)政治改革、社会大改革関連、共同宣言
並行して、内乱勢力による政権再掌握阻止のため院内5野党が結束し、市民連帯とともに5月9日共同宣言を発表した。

2 社会大改革
今回の弾劾は現職大統領のクーデターなので複雑・困難。これで最後にするには社会大改革が必要だ。
2025年12月15日社会大改革委員会を発足させた。
委員は50人、民主・政治、経済・民生、社会・教育・人権、気候・平和・歴史の4つの部門別分科会をもつ。広場市民との意思疎通を重視する。また緊急実行課題、重点課題(持続課題)、熟議議題に分けて討論する。

3 政治改革と連合政治、そして2026地方選挙
政治改革では、基礎自治体議員の選挙区は現状2人だが3-5人の中選挙区にし、複数野党を当選しやすくする。また比例代表に近づけるため決選投票制を実施する。
まずは今年6月の地方選挙で「国民の力」を100議席以下にし、政治改革や憲法改正に取り組みたい。
最後に、もう一度強調するが、2024年12月3日の非常戒厳から、韓国では市民の闘いにより大統領選挙が実施され、現在社会大改革が進んでいる

チュ・ジェジュンさんのスピーチを聞き、2025年11月以降のK-POPの歌やダンス、ペンライト(応援棒)の平和で楽しい集会、農民がトラクターを連ねてやってきたトラクターデモ、非常戒厳に対し、市民が素手で兵士の銃口をつかみ、国会議員が塀を乗り越え議会を開き戒厳解除を議決したことなど、昨年の菱山さんの報告やほかでも聞いたが、何度聞いても感動的な話だった。
もうひとつ、内乱防止のため「社会大改革」を深く進めることが、今回の市民運動の大きなテーマであり、いまも進行しているという話をわたしは初めて知った。
委員は政党や政府からの推薦だけでなく、市民からの推薦も含む。改革の内容は、国会議員選挙の比例定数の拡大、院内交渉団体の基準緩和など政治改革に限らず、非正規労働の差別撤廃、ジェンダー平等、障害者と移住民の権利と生活の質の保障、再生エネルギー拡大、気候危機対策など幅広く、多岐にわたること、単なる諮問委員会を越え、議決事項は首相が関係行政機関に計画立案するよう措置し、行政機関から委員会に結果を説明させる仕組みになっていることなど、しっかりしたシステムが形成されつつあることを知った。

最後に、朴錫運氏の入国拒否を行った入管当局と高市政権に怒りをもって抗議し、日韓民衆、東アジア民衆の連帯をいっそう深め高市政権を打倒しようという「緊急声明」を参加者一同で採択し、この日の集会を終えた。

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サナエ台風にしてやられた衆議院選2026

●自民316議席の大勝、リベラルの敗北
 2026年2月の衆議院選挙(1月27日公示、2月8日投開票)、結果は自民の歴史的圧勝、一党で2/3超、中道は壊滅的大敗、リベラル政党といわれた共産、れいわ、社民は敗北、旧立民のうち逢坂誠二、近藤昭一、阿部知子らリベラル議員も失った。

 

                                                              東京新聞2026年2月9日朝刊1面、3面

記録の意味も含め、数字を掲載する。カッコ内は2024年総選挙との議席数比較と比例代表の得票率だ。
議席数は自民316(+118、36.7)、維新36(+2、8.6)、中道49(-118、18.2)、国民28(+1、9.7)、参政15(+13、7.4)、みらい11(+11、6.7)、共産4(-4、4.4)、れいわ1(-7、2.9)、保守0(-1、2.5)、社民0(0、1.2)、減税ゆうこく1(-4、1.4)、無所属4(-6、-)だった。議席でいうと中道が減った分がすべて自民へ、共産、れいわ、減税、無所属などが減りその分、参政、みらいが増えている。自民と中道との267議席の差は、小選挙区制のせいで、得票数で配分すればそこまで大きくはない。なお、自民は予測以上の大勝だったので、名簿登載リスト不足で本来はさらに14議席増えた(その分は、中道、維新、国民、みらい、参政、れいわに配分)。
見方を変えると、24年衆議院選、25年参議院選は自民の裏金疑惑による自滅(オウンゴール)という特殊事情に過ぎず、今回が自民の地力に高市旋風が加わった、ともいえる。裏金疑惑そのものはいまも解決していないし、今回は旧統一教会疑惑も重なった。しかし下村博文丸川珠代裏金関連候補44人中42人が当選した。落選したのは杉田水脈など大阪の2候補だけだ。
首相こそ初の女性だが、女性議員数は、2年前より5人減り比率も15.7%から14.6%に微減した。これは自民の議員が相変わらず男性が圧倒的に多い(女性12.3%)からだ。
高市首相のあの「つくり笑い」がトレードマークのようになっている。あまり顔のことは言いたくないのだが、一種の職業病や公務災害の類なのかもしれない。かつて田中角栄首相が第一次石油危機のとき顔面神経麻痺を起こし気の毒なことになったように。
中道も当選議員が少なかったせいもあるが16%、やや意外なのは参政党の女性比率が53%と高いことだ。参議院議員も15人中7人が女性なので、この点も参政党躍進のひとつの要因かもしれない。 
雪の時期で、投票までの時期が短く海外在留の人など投票できない人もいたが、投票率は56.26%と24年選挙より2.41%高く、期日前投票も2701万人とさらに増え有権者の26.10%、実際に投票した人のうちじつに46.50%、2人に1人に上った

●れいわも壊滅的敗北
れいわも8議席から1議席、選挙直前にイスラエル訪問で離党(中道に移籍)した多ケ谷亮も含めれば9議席から1議席への組織的壊滅だった。
年末から総選挙が2026年のいつごろになるのか気になっていたが、世間と同じく、わたしも3月の予算成立以降の可能性が高いと考えていた。
ところが年明け1月3日トランプのベネズエラ侵攻とマドゥロ大統領拉致10日高市が解散総選挙の「検討に入った」との読売・特ダネ報道、対抗して15日立民と公明の結党合意(新党・中道改革結成は19日)、投票が2月8日か15日か惑わされたが、19日の総理記者会見で、早いほうの8日に決定、公示が1月27日(火)と突然あわただしい選挙戦に突入した。解散から投開票までわずか16日の史上最短、選挙事務を担う自治体職員の過重労働や最高裁判事国民審査、海外での在外選挙手続きなど国民無視の「高市・わがまま解散」「疑惑隠し選挙」と称された。
個人チラシのポスティングは26日までしかできないので、とりあえず平井のれいわ・くしぶち事務所に初めて行ったのは17日の午後だった。ポスティングよりまず個人チラシの2つ折り優先ということで室内作業を手伝ったあと、錦糸町北口の街宣に参加した。珍しくNHKのテレビカメラが来ていた。
21日、旧社民党支持者が比較的多いある会合に参加していたとき、れいわ・山本代表が多発性骨髄腫という血液の病気の一歩手前のため参議院議員辞職を発表したというびっくりニュースが飛び込んできた。
27日の公示日は、午後平井に事務作業の手伝いに行き、駅前街宣でビラ撒きをした。伊勢崎賢治参議院議員の応援演説があった。
なお、2年前は東の江戸川だけでなく西の八王子にも行ったが、今回は有田芳生候補が東北ブロック比例代表で出ることがわかったので、東だけですんだ。
翌28日、近所に撒くポスティング用政党チラシを受けとるつもりで新宿ボラセンに出向いたが、今回は標旗街宣用のチラシしかないとのこと、少し証紙貼りと電話入れをした。
今回の電話入れマニュアルをみると、自民の評判が高く山本代表不在というのに危機感が薄い。党名の認知度調査以外には、れいわのキャッチは「一番早くから消費税廃止を訴えた党」という本家自慢くらいしかない。昨年秋の参議院選で、政党として参政党の影響を一番受けたのは1議席しか増えなかったれいわなのに、参政党とれいわの違いへの言及もない。そのうえ急な選挙だったので、支持者名簿への電話入れも間に合わないようだった。
今まで自分のボランティア活動は自宅周辺のポスティングと電話入れ中心だったが、この期に及んではまだ街宣のほうが効果があるかと、日時が合えば街宣の手伝いをすることにした。
28日は新宿南口の標旗街宣に同行した。スピーカーは使えない。スピーチは区議が行い、わたしたちはビラ撒き、この場所に限らず外国人観光客が多く受け取ってくれる人はごくわずかだ。
街宣でのビラ撒きは、できるだけ4-5mアプローチを取り「こんにちは(または今晩は)」と頭を下げながら声を掛け、目が合った人の1/3くらいは会釈し返してくれるし、そのうち1割くらいがチラシを受け取ってくれる。「こんにちは!」「こんにちは!」で、まるで自分が「こんにちは人形」になったような気になった。

錦糸町北口で比例のミサオ・レッドウルフ候補の街宣

東京ブロックに比例で出ているミサオ・レッドウルフの街宣にたまたま参加した。5年前まで毎週金曜の首都圏反原発連合・官邸前デモのリーダーだった人だ。この人は自分がスピーチするだけでなく、通行客で話したい人にマイクを渡す山本太郎スタイルを実践していた。2人の高齢者が質疑応答した。
一人は、選挙直前の山本代表の議員辞職はおかしいという。その人の身内に多発性骨髄腫で亡くなった人がいたが「発症してからでも10年は登院可能なはずだ。あの時期に辞職したのは自民からカネが流れたのではないか」と発言した。するとミサオが「いまの言葉は許せない」と怒りエキサイトした。「辞職は、健康になってから復職しようという個人の判断だ」と応戦した。わたしも「いったいどういう根拠があるのか」と問いただそうかと思ったほどだ。「あなたはどの党を支持しているのか」という問いに「共産だ」と答え、結局「発言を取り消す」といって去っていった。ミサオは「かわいさ余って憎さ百倍のタイプの方でしたね」と締めくくった。
ここで面白かったのは、駅前のビラ撒きなので、ほとんどの通行客は通り過ぎていくのだが、エキサイトすると立ち止まり注視する人が多いことだった。立ち止まった人は1/3くらいチラシを受け取ってくれる。一種の炎上商法のようなものだが、ビラ撒きにはこんな手法もあるということがわかった。
もう一人は80代の女性で、かつて浅草で商売をしていた人だ。選挙のときに候補者はいいこと(メリット)しかいわないが、デメリットもいうべきだ、という。仕事のこともあり長年自民党支援をしていたが、あるとき何かでうまくいかなくなり仲間外れにされたとのことだった。場所がら、お2人とも少しアルコールが入っていたようだった。

人だかりができた山本太郎代表の錦糸町南口街宣

さすがに選挙末期になると、劣勢がわかったようで最後の3日間山本代表が病を押して街宣を行った。その2日目、6日(金)10時半の錦糸町街宣の応援に少し早めに行ってみた。南口の横断歩道近くで通行客にビラ撒きしたが、やはりここも受取りが悪い。しかし山本代表が選挙カーの上に乗りスピーチを始めると、平日午前なのに黒山はオーバーにしてもかなりの人が耳を傾けていた。もちろん支援者が遠方から集合した分もあるだろうが、たまたま駅から出てきた人も、いったい何だろうと足を留めて聴いていた。さすがスピーチの山本だ。立ち止まって聞いている人には、チラシを渡しやすい。半分くらいの人が受け取ってくれた。
今回は非常に短い選挙戦で、もともと予定のあった日もありあまり応援はできなかった。なお地元小選挙区はれいわはもちろん中道の候補もいないので、共産以外に応援できる候補はいなかった。1回だけだが共産候補のビラ撒きにも参加した。
最終日は新宿ボラセンで電話入れをしたあと、駅南口の最後の街宣に参加することが多かったが今回は行けなかった。くしぶち候補が錦糸町でやっているので新宿ではなにもなかったようだ。また急な選挙で、調整しきれなかったのだろうが、夕刻都教委包囲首都圏ネットの集会があったので、電話入れを少しだけ手伝い、そちらに向かった。
街宣中心の応援だったとはいえ、電話入れも新宿と平井で計4回、170本ほどは掛けた。
翌日曜夜からの開票速報は最悪だった。あやうく全滅かと思ったら、先に触れた自民の名簿記載不足で、月曜になり比例南関東ブロックの山本ジョージ候補が復活当選した。しかし共同代表のくしぶち・大石候補、高井幹事長、阪口ボランティア本部事務局長もともに落選、選挙後に急遽、山本ジョージ議員が幹事長兼国会対策委員長に就くことになった。

●これから何が起こり、こちらはどう対応するか
さて自民が衆議院でこれだけ増えると、参議院で過半数に満たなくても衆議院で再可決できるので、立法府は自民・高市の思うがままである。
高市・自民はこれからどう出るのか。2月20日午後の総理の施政方針演説を読んでみた。
選挙時のキャッチフレーズ「日本列島を強く豊かに」は、「強い経済」を基礎として「強い外交・安全保障」を確立するということのようだ。強い経済は量子、航空・宇宙など17の戦略分野への「責任ある積極財政」、官民連携による投資促進で経済成長させ、中小企業も含め「稼ぐ力」を強化し、手取りを増加させる、ということのようだ。しかし防衛装備移転に関する「いわゆる5類型(救難・輸送・警戒・監視・掃海)の見直しに向けた検討を加速させる」にみられるように殺傷能力のある武器をどんどん海外に輸出するという方針(この方針は25日党安全保障調査会で了承されたので先行されそうだ)、さらに航空自衛隊を航空宇宙自衛隊に 宇宙作戦集団を新たに編成ということから推測すると、17の戦略分野のなかでもとくに航空・宇宙と防衛産業に国の予算をかけ、効率のよい殺傷兵器を安くつくり、海外にたくさん輸出し「稼ぐ力」をつけるというようにみえる。かつてリベラル側は「戦争ができる国」という言葉を使っていたが、その後の先制攻撃容認(敵基地攻撃能力保有)、南西諸島へのミサイル配備などで「戦争する国」に変容し、いまや「戦争で稼ぐ国」にしようとしているかにみえる。
施政方針の「むすび」には、「憲法改正に関し、憲法審査会において議論の加速期待」「国会における発議が早期に実現されることを期待」と締めくくっている。
こんなことを今回の大勝で「国民の皆さまから賜ったご信任を基礎として」やろうというのだから反対運動を起こさざるをえない
昨年10月初め、高市が自民党総裁に選出された翌日、たまたま保坂展人・世田谷区長の話を聞く機会があった。「これで選択的夫婦別姓問題は100年前に引き戻される」とコメントしていたが、まったくそのとおりの状況だ。
また憲法改正に並び、皇室典範改正問題で男系天皇が適切と2月末の衆議院予算委員会で述べた。
高市の師匠は安倍晋三だそうだ。高市・自民に「都合のよい」有識者を集めて提言をださせ、閣議決定だけで法律先取りの既成事実を重ねたり、訪米し大統領とのトップ会談で独断専行するアベ政治を繰り返されたのではたまったものではない
国会内での抵抗に限度があるいま、理論的には国会外での活動、市民運動を活発にするのが正攻法であることはわかる。
ただ具体的手段がみつからない。いまも月一度、9条を守る街宣活動に参加しているが、選挙と同じでビラの受取りは悪く、街頭での署名活動も低調だ。紙媒体でなくウェブ媒体の広報に力を注がないと若い世代(若いといっても20,30代だけでなく、いまや50代以下)に届かないことはわかっていても、SNSは閲覧するだけで精一杯という状態なので、活用の仕方などまるでわからない。まして「切抜き」ショート動画作成など夢のような話だ。またヘタに作って炎上してもやっかいだ。
ただ反撃の街頭集会はすでに始まっている。
ひとつは2月22日(日)午後、有楽町イトシア前「信じられる未来へ 希望の新しい選択肢――2.22市民と野党の共同アクション(主催:市民連合 参加1000人)だ。

           ラップ調のショートコールに合わせペンライトを振る
もうひとつはその2日後24日(火)夜、議員会館前の「市民総監視のスパイ防止法・国家情報局法案反対!2.24議員会館前行動(主催:改憲問題対策法律家6団体連絡会など6団体 参加900人)だ。コールがk-pop調で行われた。締めの部分が「退陣、退陣、退陣、退陣、高市退陣!」「反対、反対、反対、反対、改憲反対!」というようなラップ調(このサイトの33-36:30あたり)だった。司会の菱山南帆子さんによると「韓国では若い人が集会に多数参加するが、こういうk-pop調のコールをしたくて集まってきた」そうで、こちらも運動を少しずつアップデイトすべきだとのことだった。
自民がこれだけ議席を取ったので、次回総選挙は、普通に考えると3年か3年半後になりそうだ。そのあいだ、どのように軍国化のスピードを遅らせ、9条改憲や国民投票を止めるか、大きな課題がのしかかっている。

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教育基本法改悪から20年――総決起集会2026 

2月7日(土)夕方、今年も文京区民センターで都教委包囲首都圏ネット総決起集会が開催された(参加57人)。今年のタイトルは「愛国教育と戦争を許さない! 教育基本法改悪から20年」だ。衆議院総選挙投票日前夜、あそこまで歴史的な大敗をするとまでは考えなかったが、しかしマスコミ報道で高市旋風で自民大勝は伝えられていた間の悪い日だった。

教育基本法改悪は、憲法「改正」の前哨と位置付けられていたが、高橋哲哉三宅晶子らの学者が中心となりすぐろ奈緒らが事務局を担い「教育基本法の改悪をとめよう! 全国連絡会」を結成した。教基法反対の一点で、日教組と全教、社民党と共産党はじめ諸団体が共闘し、その後の野党共闘の先駆けのような珍しい運動だった。わたしも1年以上、日比谷野音ほかの大きな集会やデモ(この会ではパレードと称した)に参加した。2006年12月に教育基本法改悪が国会で成立したときの記憶は鮮明にある。今年は、それから20年の年である。
また2003年東京都教委の10.23通達が発出され、翌年から多数の教員処分が行われたが、日の丸君が代裁判を継続しているのは全国でもう東京の5次訴訟だけになり、控訴審第1回口頭弁論が1週間後に迫った日だった。
この日のメイン講演は、昨年一昨年に引き続き大内裕和さんの講演で「教育基本法から20年――「21世紀ファシズム」にいかに抗するか」だった。わたしは学校現場の報告に関心があったので、そちらをメインに報告する。

東京「君が代」裁判5次訴訟の現状
被処分者の会事務局の近藤徹さん(元都立高校教員)から、10.23通達発出から23年目、484人の処分、うち9割が都立高校教員、4次にわたる裁判の経緯が説明された。減給処分は取り消したが、戒告処分や戒告再処分の取消しはできなかった。
国際機関から東京都の日の丸処分は市民的自由を圧迫するものであるとの勧告が出ている。国際都市東京を標榜する東京都が認めないのは断じて許されない。それこそ国際人権法に違反する。人権を大切にすべき学校で日の丸君が代強制は人権侵害にほかならない。これを認めてはならない。2月13日の5次訴訟期日には傍聴にお越しいただきたい、とのアピールがあった。
次に原告の一人、田中聡史さんから報告があった。
田中さんは世田谷の特別支援学校・都立久我山青光学園知的障害教育部門小学部で働いている。現在注目されるインクルーシブ教育について、文科省が推進するインクルーシブ教育システムは障害のある子とない子を分けて教育する分離教育であり、国連の障害者権利委員会から2022年9月に初めて障害のある子どもを分離した特別支援教育をやめるようにと勧告を受けたことを指摘した。教育基本法改悪直後に始まった「全国学力調査」(2007年)、「全国体力・運動能力、運動習慣等調査」(2008年)も障害のある子どもとない子どもを分離する道具なのか、その分離は差別や戦争のための徴兵制へと続くのかと、危惧の念を語った。
「教育という仕事を通じて差別のない社会をつくりたいだれもが平和に生きることができる社会をつくりたいとわたしは願ってきた。
そんなわたしにとって卒業式・入学式において日の丸に向かって起立し君が代を斉唱せよという職務命令は耐え難いものだった。これらの旗や歌は日本政府によるアジアに対する侵略戦争や植民地支配のシンボルだ。君が代斉唱時に日の丸に向かって敬意を表すという所作はわたしにとって、平和に生きる権利を否定し民族差別を肯定する行為なのだ。
わたしは卒業式入学式に参列したとき、わたしの歴史観と良心に君が代斉唱時に起立することはできず職務命令違反で懲戒処分を受けた。5件の減給処分と2件の戒告処分の撤回を求めて都立高校の教員らとともに提訴し、昨年7月東京地裁で判決が下された。わたしに対する判決は減給処分5件のみを取り消すという部分勝訴だった。戒告処分は取り消されず職務命令は違憲であるというわたしたちの主張は認められなかった。
わたしたちは高等裁判所に控訴した。すべての処分の取消と職務命令の根拠である10.23通達の撤回を求め闘っている」と締めくくった。

義務制の現場から
●教員不足問題の本当の要因、都教委の対策

                    宮沢弘道さん(小学校教員)
教員不足問題について、メディアでは、ブラック労働、モンスターペアレントの問題、採用時期の問題などが語られているが、じつはそんなところが本質ではない。この問題には3つの要因がある。
教員の仕事の魅力がなくなったのは、要は管理強化だ。
わたしの学校にも毎年たくさん実習生が来るが、最後のほうは「やはりムリかな」とあきらめて出て行かれる方が本当に多い。職場に民主制がなく、とにかく上意下達の状況になっていて、こんなにクリエイティブで楽しい仕事が全然クリエイティブでなく、楽しくなくなっている。教員養成の大学に入り4年間頑張った方だから本来ははなりたい人なのに現場の状況をみた瞬間に、「あ、これではムリだ」と考えてしまう。最後の砦は、自分が教室でなにができるかというところだと思うが、それがまったく何もできないという現実を突きつけられてしまうところに問題があるのだろうと思う。
職員室が6段階のピラミッドに階層化され、人事考課制度が強化され、校長の評価で給料が変わってくる。われわれの生活の首根っこを校長に押さえつけられている状況。職員会議もただの伝達の場になっているだけ、パワハラもまったく減らない。
学び自体も、本当は学びは面白いはずだが官制研修の学びしかないので、学習指導要領を使ったつまらない学習しかない。そういうなかで初任教員の退職者の割合が今年5.7%も出た。これは異常な数値だ。隣県でもだいたい1%くらい、全国では1%を切っているところがたくさんある。
もうひとつは組合の弱体化だ。労使の関係性が崩壊し、「指示待ち教員」が増加している現状がある。働き方改革といいながら、それがトップダウンで進んでいるというところが訳がわからない。われわれから出ていくボトムアップでやるものだろうと思うが、そういうなかで教員はただ「楽になれればいいんでしょう」というだけで、思考停止しているというところがあると思う。
組合が弱体化していることで、もうあきらめてしまう。何か困難があったとき、どうせもうしょうがないよね、とあきらめてしまう教員が非常に多い。組合に相談することを知らない教員が非常に多い。困ったときに都教委に電話したりしている。官制研修しか知らないので、学ぶ意欲がなくなっている。
3つめは、学校文化、たとえば整列、あいさつ、校則(ルール)などが特殊だ。わたしは学校文化を壊すことをたくさんやってきている。こういうことに違和感を感じる若い先生はたくさんいるが、受け入れた人は疲弊して病気になり退職したり、反発する人は退職して転職したりだが、なじむ先生も相当数いる。
学校文化にはまらない子は特別支援のルートに行ってしまう。ガチガチの教室のなかではまらない子は飛び出るに決まっている。そんな当たり前のことがわからない。わたしの学級経営はユルユルだが、ユルユルだからこそそういう子たちは目立たない。子どもたち同士でフォローし合っている。よくインクルーシブ教育で人が足りないというが、わたしはクラスに35の目があるので十分足りていると思っているし、そういう実践をしてきている。
教員不足に対し、都教委の逆転満塁ホームランがある。それが学校統廃合だ。いま着々と進んでいる。2028-2030年ころまでに各自治体で具体化され、どの学校がどの学校に吸収されるかが出てくる。もうパブコメ自体は終わっている自治体もあり、水面下で着々と進んでいて相当数の学校がこれからなくなる。一つにまとめて経費削減すれば教員の必要数が少なくなる。そうすると教員不足も解消され、行政としては非常によい、ということだ。
もうひとつが教科担任制だ。メリットは小学校では全教科の授業準備から解放され、特定の教科のみ準備すればよくなる、担当した教科の専門性が向上する。
デメリットは、わたしがずっと訴えているが、とくに若い先生は早い段階から特定の教科以外の教科を教える機会がなくなるため、ほかの教科がわからなくなってしまう。時間割がガチガチになってしまうので、たとえばこの子たちまだわかっていないので、次の時間に少しやろうということができなくなる。生活指導でもここでもう1回ちゃんと指導したいと思っても、次のチャイムが鳴ってしまった、「では1回解散」ということになってしまう。まったく教育ができなくなってしまう
同じ授業を複数回行うことによる「飽き」、学級への責任感の低下も心配している。いま以上に平均的な学級経営ということになっていくことになる。
これに対しては、全科教育の教員という矜持をもっと示さないといけないと思う。

●英語スピーキングテスト、そして中学の現状      片桐育美さん(中学校教員)
ESAT-J(中学校英語スピーキングテスト)はもう日常になり、だれも文句もいわないし普通のルーティーンのひとつになっている。7月になればこれを入れればいい、これくらいになったら子どもたちの点検をすればいいというのがあってそれが結構スムースに流れている。
1年と2年は受験しに行かず、学校に業者が来てやってくれるので、すごく楽だ。すきまバイトでやとわれた20-30人がゾロゾロやってきて、やってくれる。すごい楽だがそれでいいのか、というのはある。
みな慣れてきていて、成績を上げるため東京都がつくっているTOKYO GLOBAL GATEWAYという英語村があり、点数を上げるため競ってそこに行かせるのが流行りになっている。都教委が設置する東京教師道場に行っている人は、喜んで行かせるのが実情だ。だから、いまさら言っても仕方ないという雰囲気に流されていると思う。
もう日常になってしまったESAT-Jだが、じつは来年度の全国学力テストには英語が入る。文科省はメクビットというサイトを使っていて、昨年は理科がメクビットだった。今年は英語がメクビットになる。来年からは全部タブレットの受検になり、紙の全国学力テストはなくなる。
メクビットはいっせいにできず6日くらいに日程を分けてやる。問題が漏れるのでは、という問題点は、コンピュータがちゃんと適当な問題を出して同じようなレベルになるよう、人により違う問題が出てくる。
採点は内田洋行が全部やる。当たり前のように会社組織などが日常に入る。でも楽なのでそれに対して文句をいわず、そうなる。
たとえば英語はAIが大流行りで、うちの学校もAIを取り入れた英語教育をやっている。タブレットにAIといっしょに会話する、するとAIがすごく厳しくなかなかOKを出してくれない。それをずっとやっているような状態になっていて、でもそれにすごく会社のおカネが入っていてAI会社が喜んで早く採用してくれないかなというような感じでいる。
東京都は、教育無償化をやっていて、たとえば教材費無償、修学旅行が無償になった。だが教材費無償化が私企業にスムーズに流れている気がして、無償になるからいいのかなと思っている今日このごろだ。だがそんなことを思う人はごくわずかでそう考えたとき、どうやってどういう形で抵抗していけばよいのかというのが非常に難しい
若い人もすごくやることが多いのでやはりマニュアルがあったほうが絶対よい。だから道徳は、みんなマニュアルどおりだし、それが本当に教育かなと自分も思ったりするが、たいへんな人をみるとあまり言えない。どこでどう風穴を開けていけばいいのか、それを考えていかないと、これからの未来はないと思う。

その他、千葉高教組の石井泉さんから、1月に開催された全国教研平和教育分科会で発表された沖縄と岡山の実践事例の紹介、そして石井さん自身の2つの授業、1年生の「戦後50年村山談話」「戦後80年石破書簡」の授業と3年生の「日の丸・君が代」問題の授業の紹介があった。
そして「平和教育は可能だし生徒に考えてもらうことはできる。ぜひそれを広げていきたい。とくに若い先生が増えてきて、組合活動が活発な時代を知らない先生になっている。昨年4月不起立したが、そういうものを見せて行きたい。継承をがんばりたい」と締めくくった。

●毎朝、防衛省前などでスタンディング

                              
                  那須研一
さん(学童支援員、元都立高校教員)
那須さんは、元都立高校教員、教員だったのは10.23通達以前だが、校長が国旗掲揚をゴリ押ししようとしたとき、職場一丸で強制に反対し、教員全員が不起立した。しかしいま「強制反対でよかったのか」問い返す。中国の万人坑を知り「日の丸を掲げたり君が代を歌ったりすることは命を踏みにじる側に立つ」ことであり、日の君の歴史性、加害性の視点が欠落していた。
いま、出勤前に、防衛省と武器取引企業である日本エヤークラフトサプライ海外物産の前でイスラエル製ドローンを買うなと訴えるスタンディングをしている。
以下、スタンディングへの思いを那須さんの言葉で紹介する。
「サッカーやろう、野球やろう、鬼ごっこやろう」、小学生はとても元気でもうヘトヘトだ。小学生に振り回される毎日だが、それでも子どもたち個性豊かで輝いている。とてもこの仕事にやりがいを感じている。
目の前の子どもたちが理不尽な暴力で命を奪われたら、殺されたら、それを目の当たりにしたら、わたしは正気ではいられないと思う。わたしが何らかの理不尽な圧力に屈して彼らを殺す側に立ってしまう、彼らの殺戮に加担してしまえば、わたしという人間の存在は崩壊すると思う。毎朝スタンディングをやっているのはそういう思いからだ。
2月17日に防衛省が攻撃用ドローンを一般入札すると公告されている。イスラエル製ドローンが採用されたらイスラエルから殺傷兵器がはじめて輸入されるということだ。これは虐殺加担だ。わたしは子どもの命に寄り添う立場にあるものとして、ジェノサイドに加担したくない、その思いでわたしは日々立っている。(略)ガザの子どもたちの命を奪ったドローンをわたしたちの税金で買う、わたしは絶対に許せない。
わたしたちが人の命を踏みにじる側に立つのか、あらゆる命に寄り添う立場に立つのか、重大な問題だと思う。この問題、ぜひいっしょに声を上げていただきたい。

●講演 教育基本法から20年――「21世紀ファシズム」にいかに抗するか

               大内裕和さん(武蔵大学教授)
大内さんは、敗戦により教育勅語にうって変わり1947年教育基本法が成立したこと、2006年教基法で変えられた意味、その間の1990年代に日本の政治経済体制が変質し安倍政権が成立したこと、第二次安倍政権で戦争実行体制が整備され、高市政権で安倍路線が徹底化されつつあるという歴史的経緯、アメリカでも民主党が富裕層に支持され、労働者が共和党を支持するように逆転したこと、ヨーロッパでも極右が台頭し、第二次トランプ政権成立で欧米で排外主義の21世紀ファシズムの時代になりつつある情勢を説明した。21世紀ファシズムとは(戸坂潤を援用し)独裁制でなく議会制であっても進行するファシズムと規定し、トランプ政権、日本、ヨーロッパで進む極右の台頭も「21世紀のファシズム」と捉える。
中道は極右との対抗軸にはならない。(投票前の時点だったが)高市与党が圧勝すれば、弾薬工場の「国有化」(継戦能力の向上)が前面化し、スパイ防止法、そして改憲核武装、弾薬の次は兵員なので徴兵だと「予言」した。
現代資本主義は、地球生態系への負担、格差と貧困の拡大、民主主義の後退により危機が深まっている。「21世紀のファシズムに対抗できるのは21世紀の社会主義だ。新自由主義グローバリズムを批判する社会主義以外にありえない」と締めくくった。
50分ほどの講演で21世紀ファシズムの形成プロセスや現状の見取り図は理解できた。しかし結論の「21世紀の社会主義」の具体像がよくわからなかった。そこで質疑応答で、具体的にどういうものか、そこに至る道はどのように見いだされるか、という指摘が複数発言された。この日は明快な解答はなかった。

●特別決議「国旗損壊罪の成立をゆるさない!」と行動提起をした事務局・伏見さんのスピーチのなかで強く印象に残った部分を紹介する。

国旗損壊罪が成立すれば軍拡が強まり、増税が強まり、場合によっては徴兵制が出てくる。明日のパンそして平和、命が問われる時代が来るとわたしは思う。これをいまの段階から、とくに若者たちに訴えかけていく行動をやっていきたい。いよいよになったらみな自分のこととしてこの問題を捉えてくれるのではないかと思う。
国に対してノーという権利を、わたしたちは持っている。その表現の自由をまず奪うことがこの国旗損壊罪の狙いだからこれを叩き潰していく。若者たちにいまこそ自由を、生きる力を、そういうことを訴えていきたい」

2月13日午後、裁判所前で

☆集会から1週間後、東京「君が代」裁判5次訴訟第1回控訴審が開かれた。原告のSさんは、10.23通達が思想・良心の自由を侵害すること、通達発出の本当の理由一部の都議と教育委員の不当な介入であったことを指摘した。
原告代理人の2人の弁護士からは、国旗・国歌に対する敬意表明の義務付けは民主制の憲法に反し、学校を全体主義の飛び地にすること、そして戒告処分に対し国連機関から是正勧告が出されたこと、また昇給延伸・勤勉手当減額・人事上の不利益など重罰であるとの主張があった。
原告は前川喜平さんの証人尋問を請求している。沢藤弁護士は「この裁判の本質は、国家主義の立場からする教育観と、個人の尊厳を立脚点とする教育観との争いだ。教育行政の中枢で事務次官まで務め、事情を知悉する前川さんの尋問をぜひ採用していただきたい」とアピールした。
次回裁判は5月29日(金)14時309法廷で行われる。
☆那須さんのスピーチを聞き、2月16日夜、防衛省前抗議スタンディングに参加した。これはイスラエル製虐殺ドローンを、わたしたちの税金で防衛省が購入することはイスラエルがガザで展開する民族浄化にわたしたち日本市民が加担することになるので、絶対やめてほしいという要請行動だ。
入札が17日朝10時、その前夜の緊急行動で100人以上の市民が結集し、涙雨のような小雨が降るなか1時間あまり、声を上げた。
翌日、イスラエル製ドローンは選定されな
かったことを知った。

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工芸作品に目を瞠った東京芸大卒展2026

今年も1月28-2月1日に東京藝術大学卒業・修了作品展が大学と都立美術館で開催された。わたしは2日目の朝早く訪問した。というのは音楽学修士・審査試験演奏会の開始時間が当初の11時開始から10時半開始に早まったからだった。
9時20分くらいに到着すると校門前にすでに20-30人行列ができていて驚いた。
以下、わたしの印象に残った作品をいくつか紹介する。ただ、昨年と同じく都立美術館の会場は時間切れでうかがえなかった。だから学部卒業生の作品は原則としてみていない。また時間が足りないことがわかっていたので、日本画、油画、彫刻、建築、そして映画、さらにダンスなどのパフォーマンスはスルーした。おもに工芸、先端芸術表現、GAP、デザインの修士をみたが、学内の会場が分散しているので見落としている作品もありそうだ。とくにデザイン科は展示場所の一覧リストすらないのでその可能性が高い。申し訳ないが、そういう前提でお読みいただきたい。
なお作者のお名前はたいへん失礼ながら、敬称を略させていただいた。

●工芸
今年は、工芸の作品に目を瞠(みは)った。入口付近の望月嶺「杪冬」、闊歩する狼の下半身がボロボロと欠け始めている。こういう作品は彫刻でみたことがあったが、鋳金でもできるとは。は「木の先端(こずえ)」、「終わり」、「小さい・細い」という意味があるそうだ。たしかに体が梢のようになりかけている。ただ杪冬なので、おそらく冬の終わり、すなわち春に向かうという意味なのだろう。
次に野村俊介「魂の聖域」、セミの羽化を巨大な金属作品に仕上げたようにみえたが、なんと陶芸ということで驚いた。表示をみると素材は陶土・磁土で手ひねり・たたら成型の仕上げとあった。いったいどうやってメタリック感を出すのだろう。磁土のなかにそういう成分があるのだろうか。

Kim HyunJin「言葉」は染織の作品。9人の子どもの顔で上の段は帽子をかぶり目は開いていたりつぶっていたり、下段はマスクをした顔で目は上段がつぶっていれば下段は開いている。コロナ禍のモチーフかと思ったが、説明には「顔には言葉が宿る どんな文章よりも繊細で(略)わたしはあなたを見分けられる 顔の言葉で心の言葉で」と詩のような文があった。言葉としての顔によるコミュニケーションということなのかもしれない。

その他、ワン・リンユェのガラス胎乾漆像「瞑想」、大堀珠美鋳金作品「手のひらの四季」が印象に残った。大堀の作品は銀、銅、コバルトブルーなどアルミ製4つの壺だった。
ただこれらは絵画や彫刻ではすでに制作されているので、工芸のジャンルでも若いクリエーターにより表現の現代化が進展しつつある一現象ということかもしれない。

●先端芸術表現 
見た目で一番驚いたのは、山川旭「使ったことは、ない。見た回数、数えきれない」の2mほどある巨大なコンビニおにぎり「ツナマヨネーズ」だった。細部まで本物そっくりで、たとえば「消費期限2025年12月16日4時」と記載されていた。これは制作日時かもしれない。ただ無料精米所やコイン精米がどういう意味なのかはわたしにはよくわからない。

菅原果歩「鳥に記録される」 細密な鳥のスケッチと羽の現物の展示。机があり、備え付けの白手袋を着けて観察日記を閲覧できる。日記をみると、たとえば名古屋城に集まるカラスやお濠のカモの観察記録だった。その他、尾瀬伊豆半島、長野県大町での観察日記も並んでいた。文による説明の重要性を感じた。

菅原果歩「鳥に記録される」 細密なスケッチと羽の実物。左手前の机で観察日記を見られる

その他いくつも興味深い作品があった。阿部修一郎「風が落とすもの」は被災地・珠洲の仮設商店街のドキュメンタリー・ビデオ作品(61分)、電気工事の部分を見た。
山下紗弥おるすばんシミュレーター」は団地の一部屋を再現したゲームインスタレーション作品。引出し付きのタンス、クッション、テレビ、ぬいぐるみが並んでいる。団地住まいの5歳だった「私」がおるすばんという非日常の時間の家のなかで、自由な冒険ゲームをした記憶との説明があった。
南昂希の写真作品。鳥取県南東部・岡山との県境の智頭町に、おそらく複数回長期滞在し子どもや高齢者も含め町の人びととの関係をつくり、その結果生まれた作品。
尾形凌百鬼夜行」は、ひとつ目鳥に少年が乗り、人あるいは妖怪を爪に引っ掛け大空を飛ぶ。愉快な妖怪が30-40くらい登場する絵巻物のような作品。水木しげるあるいは21世紀版鳥獣戯画のようだった。
LiMuyun「自由唱」は女性(おそらく作者自身)の「わたしが責任を取ります」の連呼ビデオ。言い方が、断固とした表現、きっぱりした表現、涙ぐんだような表現、悲しそうな表現などさまざまある。もちろん断固とした言い方がもっとも多かったが、感情に伴いいろんな「決意表明」があることがよくわかった。特殊な感想だとは思うが、わたしは北東アジアの国や住民への侵略に伴う責任のことが頭にあるので自分の覚悟が試されているようで、しばらく強烈に耳に残った。近くの別の作品から戦時歌謡のような音楽がずっと流れていたせいもあるかもしれない。

●GAP(Global Art Practice)
鷹取詩穏のテントのインスタレーション。冬は曇りの日が多いフィンランドで作者は軽い季節性うつを患い、太陽によって日々生かされていることを身をもって実感した。建物の中心を貫く太陽の光を目撃した体験から作品の着想を得た、と解説パネルにあった。黒いテントのなかの森のような物体に網戸を通して一筋の強いライトが当たる。ただそれだけの作品だったが、光が強烈だった。わたしは暗闇のなかで道に迷い、出口がわからなくなった。壁を手探りでほぼ1周した末、なんとか脱出できた。

Wu Yixuan「Exit」。赤い布の部屋の壁には絵や風船がいくつかある。出口の黒いカーテンを脱けると、打ちっぱなしの壁に架けられた大自然のなかの女性ヌード写真3点は本当に美しかった。
ビビ・シュ「My heart(On)Unlock」。「デジタルの恋人との疑似的な関係」を結ぶ乙女ゲームという日本発のシミュレーションゲームが現代中国で人気を博しているそうだ。
少子化の時代なのだから、早く恋をしなさい!」、ロマンスはもはや私的なものではなくなり、公的なものとなった。では、自らが演じることを強いられている脚本に従わない者たちはどうなるのか、と作者は問いかける。

ところで先端もGAPも表現メディアは限定されず、表現方法は何をしてもよいようなので、いったい何が違うのか、スタッフの学生に尋ねてみた。
GAPは学部はなく院のみ、先端は学部も院もあるのが最大の違いだそうだ。GAPは名称のとおり海外からの学生が多く、日本人の比率を制限しているそうだ。授業も英語なので、先端から院に進学する際、比較的英語が得意な人がGAPという傾向があり、GAP修了後の進路も自国に帰ったり日本人も海外に行く人が多いとのことだった。進んでいる大学だと思った。なお先端も、作者のお名前から判断すると2-3割が海外の人のようだ。 

●毎年楽しみにしているデザイン科
観客参加の作品を2つみた。
鈴木ひなの魔法少女性診断」は「全人類は魔法少女である」というコンセプトのもと、魔法の杖をもち定められた位置に立つと、「創造の魔法少女」「冒険の魔法少女」「希望の魔法少女」など4種類の魔法少女にタイプ分類・診断される。観客参加型の作品はいままでもあったが、ゲームになっているので人が並んでいた。
それをさらに進めたのが石綿ひよ莉の女子プロのリング・ビデオ作品だ。なんと作者は女子プロの練習生として入門し2024年にデビューした(チョコプロレスリング所属)という人だ。作品には「これはあなたと立つためのリングです!」と表示され、実際にリングに上がれるようになっている。リング中央に天井から360度カメラを吊るし真上から撮影し、あとで映像を編集できるようになっている。選手だけでなく観客も映り、反応がわかる。もちろん観客が試合に参加するわけではないものの、観客とクリエイターが同じリングに上がる「究極」の観客参加型作品のように思えた。
わたしは、普通のテレビ中継に比べ、レフェリーが選手と同等に強調され、どのように回り込み何に注目して審判しているかがわかる点に興味を惹かれた。

やや理屈っぽい作品も、わたしは好きだ。
百瀬莞那私たちはいかにしてイルカ中心的なデザインを実践できるか?」イルカと人が共生するためストレスを減らす方法を、ボール型、アレイ型、ボックス型、ボート型の4種類のプロダクト(ウキのようなもの)をイルカに与え、吐き戻し行動の回数でストレスを計測した実験。たしかにプロダクトを与えるとかなり軽減する実証結果が棒グラフで示されていた。こういう理屈っぽいデザイン作品もあるのか、と驚いた。ドルフィン・センタード・デザインと呼ぶらしい。

斎藤千智(ちさと)ちょこんの見つけた街角」。ひとり時間は昔からあり、60年代の屋台村、80年代のカプセルホテル、2000年代のおひとりさま、2020年代のソロ活、一人焼肉など10年ごとの例示があった。しかしコロナ禍でだれでも強制的にひとりになったことで再認識されるようになった。家に帰る前にちょっとだけ「一息つきたい」ひとり時間。他人との接触のない小さなスペース「ひとりの空間」を「0.5空間」と名付ける。作者は住宅街のなかでひとりで少しの時間腰かけられそうな場所を探す。街角の「ひとりの空間」のスケッチが12点提示されていた。なるほどと思った。
Yang Sehwan「Palan」は48台の青い光を放つモニターを並べた作品。Palanは波浪とか青の意味で、フランス語の「parent」(親)にも通じるとの説明があった。ブラウン管テレビに磁石を入れると磁力で電子ビームを乱し、画面が青い色になる現象を利用した作品だ。実物より、このように写真でみたほうが効果が強い。

近藤ののか「ワープホールの浮かぶ空」は渦巻きのような巨大な壁画だ。「ひとつの大きな呼吸と、たくさんの小さな終わりの中で(略)」「私が大きな代謝の渦中にいることを明らかにした」と、「大きな代謝の話」の説明があった。渦巻の中心には、建設工事中のビルや工場の写真のコラージュになっていた。
のもとしゅうへい「雪ちゃん」。母の故郷、高知で作者は曾祖母の日記をみつける。そして「雪ちゃん」という短編小説を書く。それをブックにデザイン・装幀し、印刷・製本して、商品として販売する。本を素材にした作品はこれまでも見たことがあったが、企画、執筆、制作・デザイン、印刷・製本、販売と製販一貫でつくった作品は初めてみた。

音楽学部の卒業・修了試験公開演奏会
わたしは昨年末にピアノ(ただし聴いたのは2人だけ)、年が明け指揮科の学部と修士、この日の管打楽器のサックスを聴いた。指揮では修士西村広幸ストラヴィンスキー火の鳥組曲(1919年版)がすばらしい出来で、とくに5曲「魔王カスチェイの凶悪な踊り」と7曲「フィナーレ」に感動した。いい演奏を聞かせてもらえた。藝大フィルハーモニア管弦楽団も訓練されたなかなかいいオーケストラであることがよくわかった。

演奏前の藝大フィルハーモニア管弦楽団

客席後ろ半分が教官席だが、下野竜也氏と山下一史氏が談笑されているのを目撃し、ちょっと得した気になった。そのほか酒井敦さんという方が教授で、この方は藝大フィルの事務局長も兼任されている方だ。
立花花貴のサックスは、きらびやかとは反対のしっとりして柔らかく、アルトなのにテナーのような音色だった。曲目はテレマンコレルリクープランバロックの編曲で、オルガン、チェロとの三重奏だった。コレルリはせっかくのオルガンの音がサックスとの音量の差で聞こえなかったが、クープランの「王宮のコンセール2番」でははっきり聞こえいいトリオになっていた。「サクソフォン奏者はバロック音楽とどう向き合うべきか」というタイトル(おそらく修論のタイトル)が付いていた。サックスにはこういう方向の可能性があることがわかった。
☆昼食を音楽学部の食堂で食べた。美術学部の食堂にも行ったが玉子屋の600円弁当だった。かつてNHKのさらメシで音楽学部学長が毎日食べにいっていた手造り調理の大浦食堂(2021年2月閉店)とのあまりの違いに驚いたからだ。音楽学部は食堂でつくっていた。定食・丼が500-600円、麺類が400-550円だ。何度か訪問し、カツカレー(550)かき揚げ丼(500)がおいしいことがわかった。 

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さようなら 上野動物園のパンダたち

日本にパンダが来たのは1972年10月日中国交正常化記念に中国から贈呈されたカンカン(1970生まれ オス)ランラン(1968生まれ メス)の2頭だった。大歓迎され11月5日上野動物園での初公開日には6万人2キロの行列ができた。その後神戸の王子動物園、白浜のアドベンチャーワールド、岡山、福岡などでも人気を集めた。
それから半世紀、54年経った今月、双子で2021年6月上野生まれのシャオシャオとレイレイ中国に返還されることになり、日本からパンダはいなくなる。わたしはパンダに関心はないのだが、自分が国内でパンダを見る機会は今後おそらくないと思い、この機会にみに行くことにした。昨年、黒柳徹子の「トットあした(新潮社2025.6 224p)で、黒柳は子どものころアメリカみやげのぬいぐるみを伯父からもらって以来ずっと好きだったという話を読んだ影響もある。
思い立ったのが12月半ば、1月8日に上野に行く予定があったので、その帰りにと思っていた。初めに入手した情報では1週間前の午後0時からウェブ申込みとあった。それで元旦の12時前に待ち構えた。ところがサイトの入口に迷い12時2分やっと入ることができた。ところがそこからが長い。15分間何度もやり直し、これでは売切れずみだろうとあきらめかけたとき、やっと申込ページが開いた。1月8日はおろかいちばん早くて1月19日の週の抽選申込しか残っていなかった。おそらく午後よりは午前のほうが倍率が低いだろうと計算し10:45で申し込んだ。運よく抽選に当選し、入場することができた。

ただ入場する行列に並ぶと約30分待ち、見るのは約20人グループで1分だけと決まっている。予約時間の30分前に到着するとすでに100人くらいの行列ができていた。95%は女性、珍しいことに子どもはほとんどいない。抽選に申し込んでわざわざ来るのだから、やはりパンダ熱烈ファンが中心なのだろう。
パンダのもりは6800平方メートルもある広大さで屋外放飼場が4つ、その間に屋内展示室が3室いまは検疫期間のため1号室にレイレイ、2号室にシャオシャオ、3号室は空室になっている。近くにいたパンダファンの方が屋外放飼場の台の前で「シャオちゃんは、よくあの台の上にいた」と教えてくれた。

やっと順番が回ってきて、グループで入室すると部屋の真ん中にバーがある。そこで左右を分け、交代するようになっていた。まず雌のレイレイから。1m以上ありサイズが大きいのでよく見えた。体重92キロ。身長は、激しく動くため計測していないようだが130-150センチ程度あるようにみえた。なにしろクマの仲間なのだから。
前列、中列、後列に分かれ、前列は座り、中列は中腰なので、たいていの人はよくみえたはずだ。待っている間は談笑しているひとがかなりいたが、展示場内は静まり返っていた。たいていの人が撮影に没頭していた。きっと心の中でこれまでの思い出を思い返したり、言葉をかけていたのだろう。本格的なカメラの人もいればスマホの人もいる。スマホは動画撮影の人が多そうだった。
1分経つと右のサイドに移動、だから合計2分みられる。

次は雄のシャオシャオ、ちょうど食事中で竹をガツガツ食べていた。あんなに激しくひっきりなしに竹を食べるとは、百聞は一見に如かずで、はじめてみる光景に驚いた。竹にも多くの種類があり、パンダが食べるのは限られた種類だけ、かつ水分が多く食感のよい新鮮な竹が好みということなので、竹調達スタッフも大変らしい。体重は102キロ、合計2分という時間は思ったより長く、ゆっくり眺められた。
こうやって本物をみると、いそっぷ橋のパネル展「上野初のふたごのこれまで」の写真で、生まれたばかりからだんだん成長しいまの大きさになるまでがリアルに感じられた(このサイトでみられる)
上野動物園のサイトによれば、カンカン、ランラン以降ホァンホァン、フェイフェイ、リンリン、シュアンシュアン、リーリー、シンシンが中国から、また上野生まれのトントン、ユウユウ、シャンシャン、レイレイ、シャオシャオも入れて合計13頭(その他乳児のうちに亡くなったパンダが2頭)。

ありがとうシャオシャオ&レイレイ――暁にひらく未来への蕾」というスタッフの別れのメッセージのボードが掲示されていた。
園長、飼育展示課長、教育普及課長、飼育係など15人の新旧スタッフの手書き寄書きだ。
タイトルどおり、「いままでありがとう。中国でも元気で」という趣旨のものが多いが、さすが長年暮らしを共にされただけのものがあった。
待望の双子に、思わず産室で声を上げて飛び上がるほどうれしかった。昼夜を問わず一緒に哺育室で過ごした約4ケ月間は本当の子育てそのもの」
「手のひらに乗るほど小さかったおチビから、すくすくと育ってくれたね。目に入れてもいたくないと思っていたのに、(か)まれたら普通に痛かったこと、絶対に忘れません! どれだけ大きくなっても、私にとっては「シャオ坊」と「レイちゃん」のままです」
「シャオの好奇心旺盛な姿、レイのマイペースな姿、全てが僕のかけがえのない宝物であり、大きな財産です」
親身に世話をしているスタッフならではの貴重な体験談の数々。
「成長とともにリーリー、シンシン(そしてシャンシャン)に似てきましたね(名前が出ている3頭は両親と姉)  
「シャオ!!緑ラインがどんどん太くなり印付けが大変になったけど、成長を感じられて嬉しかったよ! レイちゃん!! どんな竹でも沢山食べてくれてありがとう!」
「数年前は小さなリンゴの欠片を食べるのも苦戦していた2頭が、今では竹をバリバリと食べるのを見ると、逞しくなったなあと感心します」
「生まれた直後にへその緒の処理をしたり、ミルクを飲ませたり、排せつのお世話をしたり・・・」
「最初は苦労した健康管理のトレーニンも、今ではすっかりお手の物。体重測定も採血も、すっかり慣れてくれたね」
愛情あふれるコメントばかりだった。

動物園は、動物をみる側の人間の反応をみるのもなかなか楽しい。そういう意味では「人間」動物園だ。
主役は子ども、とくに未就学児である。親、両親、場合によっては祖父母や伯母・叔母、叔父が同行することもある。日本人だけでなく、アジアや欧米からの家族旅行の人もいる。また若者のグループ、中高年のグループ、カップルも当然いる。だから人数としてはおとなのほうが圧倒的に多い。

おとなも子どもも、まず「あっ! いた、いた!」の発見の声から始まる。だが「いないねぇ、いない!」という残念な反応がかなりある。というのもわたしが子どもだったころの「檻の中の動物」でなく、できるだけ現地の屋外自然環境に近くつくられた広い施設が多く、岩、トンネル、木や植物のなかのどこにいるか見分けにくい
またゴリラのように4、5頭いるはずなのに、みな巣のなかで昼寝中ということもあるし、この時間帯は屋外の庭でなく、建物内の展示ということもある。そもそもコウノトリやタンチョウのように「鳥インフルエンザ予防のため公開をお休みしています」という札がかかっていることもあるし、サル山は何年かかけて作り直しているため当分閉鎖という場合もある。また、動物園マップをみていてライオンがいないことに気づいた。放飼場ごと作り直し中で一時的にいないのかと思いスタッフに尋ねると、もともといないということだった。多摩にパンダがいないように、多摩にライオン・上野にパンダという役割分担になっているのかもしれない。
あるいは少し前までいたのに「どこか行っちゃったね」と時間差のこともある。運よく活動中の動物を見られるかどうかは運次第だ。
運よくみつけられた場合、いまの時代なので第一声はおとなも子どもも「かわいい!」が多い。レッサーパンダやサルの仲間のアビシニアコロブスだけではない。小獣館は小さな動物ばかりなので、サイズの小さいネズミやネズミのようなサル、たとえば「コモンマーモセット」「カイロトゲマウス」はかわいいの連発だった。それだけでなく大きなゾウやトラでも仕種が「カワイイ」だ。逆は巨大なカバなどへの「大きいね!」という感嘆符もあった。
また人間にはないしっぽにも関心が集まる。サルやサイだけでなく、グリーンイグアナをみて「あんなに長い!」と驚いている人もいた。
草をむしゃむしゃ食べるコビトカバやゴリラをみて「○ちゃんも葉っぱ食べたか?」、幼児がおばあちゃんに遊んでもらっている。ひきがえるをみて「ゲロゲーロがいたね!」といっている人がいた。高齢者にとっても動物園は孫と遊べる場所だ。
夜行性動物やは暗い部屋にいる。幼児はそれだけで「こわい!」「いやだ! ママだっこ!」とむずかることもある。またわたしのような高齢者は暗闇に目が弱く、動物を発見できないどころか、足元や壁へ衝突しないか不安になる。 
木の上で暮らす夜行性動物レッサースローロリスの名札をみて「高級車みたいな名前だな」といっていた男性グループがいた。
こどもだけでなく、おとなにとっても楽しい観光施設だ。さらにたんなる観光ではなく、本格的なカメラを構え、何枚も写真を撮影している人や長時間真剣にスケッチしている人もいる。
飼育している動物だけでなく、不忍池(正確にはそのなかの鵜の池)のカワウやカモもみごたえがある。昨年12月15日の観測記録では、カワウ281 オオバン14 コサギ 3 ユリカモメ5 カルガモ2 アオサギ1とあった。また東園と西園をつなぐいそっぷ橋東側の椿の赤い花弁もきれいだった。おとなにはこういう見方もある

上野動物園のおみやげコーナーの一番人気はパンダのぬいぐるみ。大きいものは1万3000円、いちばん小さいサイズでも2200円といい値段だ。だが山のように並べられ、結構売れていた。また入口近くで記念写真コーナーがあり呼び込みをしていたが、長い列ができていた。
園内だけでなく、近所や上野駅近くにもパンダのみやげや記念写真コーナーがある。外国人の親子がパンダの絵をバックに記念写真と撮っていた。日本人だけでなくたいていの子どもはパンダが好きだ。
2月27日(火)にパンダが上野からいなくなると、今後どうなるのだろう高市習近平の対立から予測すると、当分パンダ訪日の見通しは暗い。もちろんウサギ、コアラ、ペンギン、カンガルー、サル、ハムスターなどほかにもかわいいぬいぐるみはたくさんあるが。以前2008年4月リンリンが死んでから11年2月リーリーとシンシンが中国から来るまで、3年弱上野にパンダがいない時期があったので、それを参考に当面耐えるのだろうとは思うが・・・。

京成上野駅近くの記念写真コーナーでは外国人親子が・・・。
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