2024年秋、まるごとミュージアムで、一部をみたセイコーミュージアム銀座にゆっくり行ってみた。正面入り口前からみるとペンシルビルだが、かなり奥深いつくりで8階建ての地下1階から6階までがミュージアム、それより上はオフィスになっている。
展示の方針は2本あり、メインは服部金太郎を始祖とするセイコー・ブランドの誕生から現在までの企業の歩み、もう1本は時計の博物館だ。

2階「常に時代の一歩先を行く」は服部の生涯の紹介展示だ。(この部分は展示だけではつながりがよくわからないこともあり、「時計王服部金太郎」(平野光雄 1972.3 時事通信社)も参照した。ページ数は本書の該当ページを示す)。
服部金太郎は1860(万延元)年10月東京都京橋采女町(現在の東銀座)の古物商「尾張屋」で生まれ、7歳から寺子屋で学び(p19)、12歳で京橋八官町(現在の銀座八丁目)の洋品雑貨問屋「辻屋」に奉公する(p20)。たまたま1872年11月太陰暦(旧暦)を廃し太陽暦(新暦)を採用する詔書が発せられ、また辻屋の2,3軒北に江戸以来の老舗・小林時計店の店員が時計の修繕に励むのを見て74年に「そうだ、時計屋になろう」と決意した(p22-23)。そこで辻屋を辞職し、日本橋の亀田時計店に奉公することにした。ここで2年働いたあと、店主の紹介で上野黒門町の坂田時計店に入店したが、翌年店主の事業失敗で倒産した(p25)。
服部は自宅に戻り、軒先に「服部時計修繕所」の看板を掲げる。場所は東銀座の歌舞伎座の100mほど南、現在電源開発ビルがあるあたりといわれる(p15)。ただし通いで時計職人の仕事も行った(p26-27)。4年後の81年12月自宅近くで「服部時計店」を開設、これが創業である(p28)。22歳の暮れだった。このころは質流れなど古時計を修繕し売り込む仕事が中心だった(p29)。それが横浜居留地のスイスやフランスの時計商から西洋時計を仕入れ小売店に卸す仕事(p33-34)にシフトし経営は成長し87年9月には銀座4丁目に本店を移した(p35)。
次に服部は、墨田区石原の古いガラス工場跡地を買い工場をつくり92年5月掛時計の製造を始める(p39)。これが精工舎の始まりであり服部時計店の工場名だ。従業員十数人だった。
掛時計生産が軌道に乗り、93年12月には隣の柳島町(現在の太平4丁目)の数百坪の敷地に工場を移したが、動力もそれまでの人力から5馬力の蒸気機関を導入した(p45)。94年の東京府統計書によれば精工舎は従業員100人弱、時計製造高2万4000個(p45)とある。95年には最初の懐中時計「タイムキーパー」が完成、99年には目覚時計の大量生産を開始した。
銀座の店のほうも、4丁目角にあった朝野(ちょうや)新聞を買い取り95年に時計塔が付いた新社屋で営業を開始した(p46)。
1909年、吉川技師長が自社開発したピニオン自動旋盤により歯車の加工技術が飛躍的に向上(p61)し、いままで25人で行っていた加工を1人でできるようになった。そのため同年製造開始した大衆向け懐中時計「エンパイヤ」が大ヒットした。それまで懐中時計は赤字事業で掛時計・置時計の利益で生きていたのが黒字を達成できるようになった(p65)。
続いて腕時計製造にも進出し、13年初の国産腕時計「ローレル」を発売(p69)、24年にはセイコーという名の腕時計を発売、以降ブランドを「SEIKO」に統一した。
これと前後し23年9月の関東大震災で銀座の本店も墨田区の工場も全焼した(p79)。しかし仮営業所を11月、仮工場を10月以降新築し復興が始まった。
9年後の1932(昭和7)年6月銀座4丁目に渡辺仁設計による地下2階、地上7回延べ6814平方メートルの本店を竣工させた(p96)。屋上にそびえる時計塔は、銀座のシンボル、東京のシンボルとなった(p96)。ゴジラ映画などにも登場するあの時計塔だ(p97)。
それからまもない34年3月服部金太郎は享年73で永眠した。業界では1891年31歳のときに東京時計商工業組合幹事や東京商業会議所(現在の商工会議所)会員に就任していたが、1927年には貴族院議員に選ばれた(p87)。また晩年の30年10月、70歳の誕生日には私財300万円で財団法人服部奉公会を設立した(p93)。日本の学術文化および科学技術の振興と発展を目的に現在も工学に関する研究を奨励助成している(p128)。たとえば1938年の第8回受賞者には湯川秀樹や雪の研究の中谷宇吉郎の名前もみえる(p130)。

左から日時計、水時計、燃焼時計
3階は「自然がつくる時間から人がつくる時間」で、時計の歴史博物館的な展示だ。
日時計、水時計から砂時計、線香を使った燃焼時計など自然の力を利用したものから、やがて1300年ころ北イタリアで錘(おもり)を動力源、棒てんぷを調速機として使う機械式時計が発明された。しかし塔のなかに吊るして使うなど、かなり大きくなるため、錘から振り子ぜんまい、棒てんぷから円てんぷなどの発明によって、次第により小さく、より正確な時計へと進化していく。
1891年アメリカで列車が正面衝突する大きな事故が起こった。原因は機関士の時計が4分遅れていたことだったので、1週間で30秒以内の誤差というルールが設けられた。時計メーカーには、正確さ、精密さが課題となった。
一方で、室内装飾としての豪華な置時計もつくられた。ブラケットクロック(18世紀イギリス)や総体振置時計(19世紀フランス)である。
針が時針のみ1本の角型ランタンクロック(1700年代後半 イギリス)、からくり人形が動き時間を知らせるからくり押打ち鍵巻懐中時計(1800年代初め フランス)や、日本でもべっ甲蒔絵枠時打印籠時計(1800年代前半)、尺時計形矢立と根付日時計(江戸時代後期)など工芸品の顔ももつ和時計が展示されていた。

4階は「精巧な時間」
2階の続きのような展示で、セイコーの掛時計、目覚まし時計、懐中時計、日本初の腕時計の現物が並ぶ。1937年、腕時計の生産増強のため第二精工舎を設立し、諏訪への疎開工場は戦後、諏訪精工舎からセイコーエプソンになった。
1892年工場部門である精工舎設立以来「世界を追いかける」ことがテーマだった。
腕時計の原点に立ち返り「狂わない、壊れない、美しい」の原則で1956年に設計発売したのが紳士用機械式時計「マーベル」だ。米国時計学会(日本支部)の腕時計コンクールでスイスなど外国製品を抜き、1位となった。当時の「国産品は精度が悪い、壊れやすい」というイメージを払拭した。
1960年代に最高の精度を追求する姿勢が生まれた。この姿勢から生まれた製品が1960年の初代グランドセイコーだった。スイスのクロノメーター検査基準優秀級と同等の精度で国産時計初の達成である。なおグランドセイコーについては6階で詳しく紹介される。グランドセイコーで世界に追いつき、さらにその先を目指すことになった。
もうひとつのエポックが1969年、世界初のクオーツ腕時計「クオーツアストロン」の開発である。クオーツは、ぜんまいばねの代わりに水晶振動子の発振でステップモーターを駆動させるもので、ぜんまいばねより誤差が非常に小さい。
クオーツは1959年に放送局用に納品した製品から始まる。当時クオーツ時計はロッカーの大きさだったが、63年に20cm程度で持ち運びできるサイズにできた。そして69年に直径3㎝の腕時計へと小型化できた。その間、68年に世界初のクオーツ掛時計を開発した。2004年にはクオーツアストロンがIEEE(米国電気電子学会)のマイルストーン賞を受賞した。2018年にはクオーツが世界の腕時計生産高14億個(推定)のうち97%を占めるようになった。クオーツ腕時計が世界標準になったのである。
5階「いろいろな時間

1963年に開発されたラジオ電波掛時計に始まり「世界のどこでも正確な時計」は、電波時計から2012年に世界初の「GPSソーラーアストロン」を生み出した。
「ひろがる時間」では海外進出をテーマにしている。戦前の1905年に上海と香港に販売代理店を開設したり、戦間期の1915年に目覚まし時計をイギリスから60万個、フランスから30万個の大量受注を受けたこともあった(p72)。戦後70年代にヨーロッパ、アジアに向け進出し80年代後半になるとリボリ(86年)、エイジ オブ ディスカバリー(90)、アークチュラ(91)、プルミエ(2001)など、海外独自の製品を販売した。
「美しい時間」というコンセプトもある。1974年発売のクレドールは「黄金の頂」という意味のフランス語でいわゆるラグジュアリーブランドである。宣伝には2025年6月に亡くなった長嶋茂雄が起用された。
装飾的な時計ということではソシエ、ティセ、ルキアなど女性用シリーズもある。
高級インテリア時計「デコール」もある。「デコール 悠久」(2005)は37.5秒に一度金属球が発射され、針を動かす。
ブロンズ人形不思議時計(1870年頃)のようなゴールドを使った華美な時計、同じくデザイン性重視のクレドール、いかにも子どもが喜びそうなキャラクター時計、ハローキティ、ポケットモンスター、ウルトラマン、ドラえもんなどの時計が並んでいた。
有楽町マリオンで有名になったからくり時計。時間になると時計から人形と音楽が出てくる時計のことだ。
たしかに宝石のように装飾性のあるアクセサリーに人間は魅かれる。なお「いろいろな時計」という多様性を示すフロア・タイトルは、近い時代すぎてまだ分析しきれない苦し紛れさも感じさせる。
6階 グランドセイコー
ロードマーベル(1958)の視認性とクラウン(1959)の高精度をベースにし1960年12月に発売されたのが初代グランドセイコーである。平均日差+12から-3秒以内はスイス・クロノメータ検査基準(B.O)優秀級規格であり、国産最高級腕時計である。「正確で見やすく美しい」を現実のものにした。
64年、針を回さず簡単に日付を簡単に合わせられる「早送り日付修正装置」を加えた57GSセルフデーター、67年スイス・クロノメーター検査基準(B.O.)以上に厳しい「グランドセイコー規格」をクリアした62GS、V.F.A.(Very Fine Adjusted)機械式時計では前例のない「月差±1分」を実現した45GS V.F.A.などを次々に発売した。
B1 極限の時間

100m走ではランナーが1秒で11mも走るので、1/1000秒の精度が要求される。セイコーは1987年以降、世界陸上選手権大会のオフィシャルタイマーを担当している。陸上競技だけでなく、スポーツ競技の計時計測に要求される精度は高い。陸上競技のスタートに使用されるスターティングブロック、競泳用タッチ板、バスケットボール、ホッケー、ヨット、カヌー、ボート競技などで使われる精密なストップウォッチ。自動車レース、モータースポーツ用のストップウォッチなど、幅広い分野で競技を支える。
登山家や冒険家が厳しい環境で使う腕時計、1965年には水圧の高い600mの深海でも使用できるダイバーズウォッチを開発した。86年には1000mでも使用できるようになった。海での時計という点では、クルージング、フィッシング、さらにヨット、ボートセーリング、ダイバーなどマリンスポーツ用の時計も開発製造している。一方、無重力状態の宇宙で使えるスペースウォーク(2008)も開発した。
極限状況で力を発揮できる時計づくりへの挑戦を続けているともいえる。
最後にわたしの関心や気づいた点をいくつか挙げる。
自宅での時計修繕という家内工業からスタートし、輸入時計の委託販売で資本を蓄積し、工場をつくり、かつ旋盤の開発で懐中時計の量産化を実現、低価格化で企業規模を拡大、初の国産腕時計「ローレル」の製造、第一次大戦の特需の側面があるが、1915(大正4)年秋以降、目覚時計をイギリスへ60万個、フランスへ30万個という大量発注に恵まれた(p72)。これを契機にアジア、オーストラリア、南アメリカ、ヨーロッパなどへ輸出拡大し、1970年代に輸出比率60%の企業となっていった。
2階展示のブロックタイトル「精巧な時計をつくる」「良品は必ず需要者の愛顧を得る」「急ぐな休むな」や部屋のタイトル「常に時代の一歩先を行く」といった服部金太郎の商いの勘や経験則が経営方針や経理理念となり、家内工業から企業へ、中小企業から日本、いや世界の中堅企業へと成長拡大していく。
日本のものづくり、具体的には時計、カメラ、光学機器など精密工業がどのように成長・発展していったか、ケーススタディのひとつとして非常に興味深い歴史を垣間見ることができた。
わたしには苦手な分野だが、宝飾品のような高価な時計、子ども用アニメ・キャラクターのついた置時計、装飾性、デザイン性に富む時計という側面は確かにある。このジャンルが趣味の方には、たまらないミュージアムだと思う。
工夫された企業ミュージアムだったが、あえて欠点を述べる。土地の狭さによる制約であることはわかるが、1階から2階への移動を除き、すべて1台しかないエレベータ移動しか移動方法がなく、それは不便だった。上階から順番に下に回る方が楽なので、6階から見始めたが、話の順序は2階から順に上に上がるようになっているので、見終えてから失敗したと思った。また同じ理由だろうがトイレは各階にはなく、男性用は7フロア中2,4,6の3フロアに各1台あるだけだった。

創業者の執務デスクと応接セット(帝国データバンク史料館)
☆セイコーミュージアムの置きチラシに帝国データバンク史料館「創業者 後藤武夫」をみつけ新宿区四谷本塩町の施設(2007年オープン)を訪問した。後藤は1870年生まれで1933年2月62歳で死去なので服部金太郎より10歳年下だが死去したのは同じころなので活動時期はほぼ同じだ。
日本の信用調査業は、元日銀大阪支店長が1892(明治25)年に開設した会社と96年渋沢栄一が設立した半官半民の非営利組織を嚆矢とする。後藤は1900年民間企業として帝国興信所(後の帝国データバンク)を設立した。
こういう経緯なので、事業所の信用調査がメインで、30年後の金融恐慌で業績が悪化した時期に、債権取立、結婚紹介、不動産鑑定、などの新事業開拓を始めた。ただその後の時代の変化で、1973年に中学・高校新卒の雇用調査、その後新規学卒者、結婚調査を含む人事調査を1981年に廃止したそうだ。
入口を入った正面には、創業者が使っていた執務デスクと応接セット、「至誠努力」の額の実物が展示されていた。
セイコーのように精密機械を扱うハードの業種、信用を巡る情報調査というソフトの業種と対照的だが、どちらも戦前の日本の資本主義発展に寄与したという点、また明治期に創業者が企業像をはっきり形作ったという点で、興味深かった。
●セイコーミュージアム銀座
住所:東京都中央区銀座4丁目3-13 セイコー並木通りビル
電話:03-5159-1881
開館日:火から日曜(月曜、年末・年始休み)
開館時間:10:30~18:00
入館料:無料

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